――その旅行は何日間くらい行かれたんでしょうか?
藤岡 確か2、3泊だったと思います。そのときは、タイミングも合ったんだと思います。「根本的に、変わらなきゃ」という強い思いがあったので。
――台湾に移住したのは何歳のときですか?
藤岡 2013年、ちょうど30歳のときですね。当時は日本でやっていたバンドだったり、進めていた仕事も色々あったんですけど、でも、今行かないとダメだと思ったので。そこは辛かったんですが、わがままを言って飛び出しました。
――その決断に対して、周りの反応はいかがでしたか。例えば、ご家族から反対されたりは?
「何で行くの? 今じゃなきゃダメなの?」
藤岡 家族の反対はなかったかな。もう、私が決めちゃっていたので。母曰く「小さい頃から決めたら聞かない子だった」ので(笑)。周りの反応では、今でもすごく覚えていることがあって。チェキッ娘で、今でも仲のいい子たちには、台湾に行くことを事前に報告したんです。そしたら「麻美、行った方がいいよ」って言ってくれて。あぁ、分かってくれてるんだって感じて、ありがたかったですね。
でも、もちろんそんな意見ばかりじゃなかったです。「何で行くの? 今じゃなきゃダメなの?」っていう意見ももちろんありました。そこはもう、自分が結果を出して、「だから台湾に行ったんだ」って分かってもらえるように頑張らないと、と思いましたね。
――実際に移住されてからも、台湾は自分に合っているなと感じましたか?
藤岡 本当に、行って良かったと思います。台湾に来たら開放感といいますか、ゆるーい感じが救いでした。日本の方はきっちりされていて、もちろんそれがいいところでもあるんです。でも、日本ではNGなことも、台湾ではOKだったりして、なんだかラクなんですよね。
藤岡 だから台湾に住んでいるだけでも、「あぁ幸せだな。今、ここにいられて良かったな」って。今思えば、日本にいる時は、かなり追い詰められていたんだと思います。プレッシャーから逃げ出したかったのかもしれません。
2022.06.02(木)
文=松永 怜
撮影=釜谷洋史/文藝春秋