「痙攣性発声障害」と診断され……
――そうした中で声が出なくなってしまったのは、ある日突然だったのでしょうか。
藤岡 舞台の稽古中にセリフをその場でつけてもらって、演出家の方が言ったことをそのまま言おうと思ったときに、急に声が出なくなってしまったんです。「あっ……」って喉がギュッと締まっちゃったような感じで。なんでこうなったのかわからなくて、当時は病名が欲しくて、色々な病院に行きました。
でも、お医者様からは「声帯きれいですね」なんて言われちゃう。外から見ても何も悪くないし、病院では静かな部屋で落ち着いて話ができるので、そういう症状が起きないんです。ただ、プレッシャーがかかるとまた声が出なくなってしまって……。
結局、痙攣性発声障害という診断でした。今思うと、その診断が正しかったのかさえ分からないのですが、「はい、私はその病気です」みたいに、とにかく病名が欲しかったんです。
――そこから治療が始まったんですね。
藤岡 ただ、治すのはとても難しいと言われて。そのときに、最終的には自分の生き方を変えなきゃダメだと思ったんですね。それまでは、嫌だなと思っても我慢して「すごく楽しいです!」って言っちゃったり、本当はやりたくないんだけど「頑張ります!」みたいなところがあったので、それではいけなかったんだなと感じたんです。たぶん、心の悲鳴みたいなものが出てしまったんだなと。
そんなときに、たまたま日本の友達が台湾旅行に行こうよって誘ってくれました。そこでチャンネルがガチッと合ったんです。「私、ここに住んだ方がいい!」って。それで、1年後に移住しました。
30歳で「台湾移住」を決断
――1年後に! そのときは、どんなところが自分に合っているなと?
藤岡 まず、湿度です。台湾は湿度が高いので、その重たい感じというのかな。ちょっと緑もあったりすると、そうした空気感がすごく気持ちよくて、肌に合ったんです。あとは、「この子は日本人だ」って分かると、みなさんすごく親切にしてくださって。道に迷ったときも声を掛けてくれるし、レストランでもサービスしてくれましたね。そうした台湾の方の温かさにとにかく感動して、ここに住みたいと思いました。
2022.06.02(木)
文=松永 怜
撮影=釜谷洋史/文藝春秋