そして、8月15日の戦没者追悼式では、「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」との表現を使用した「おことば」を述べ、翌年以降の戦没者追悼式でもこの文言を継続させていった。

 そして、戦後60年の2005年になると、アジア・太平洋戦争の激戦地であったサイパン島への訪問が実現する。天皇・皇后の外国訪問はその国からの招請という形式で行われるのが通例であるところ、この訪問は天皇の意思によって行われた。それだけ異例だったと言える。

 サイパンでは遺族会や戦友会の人々から話を聞いたり、戦没者慰霊碑を訪問したりしている。自らの意思で積極的に戦争の記憶を掘り起こす作業を行っていったのである。こうした天皇の姿勢は、特に護憲派のようなリベラル陣営に大きな影響を与えたと思われる。

 こうした人々は、従来ならば天皇制に批判的な意識を有していた。ところが、安倍内閣の安全保障関連法案、集団的自衛権の問題に代表されるように、国内情勢・国際情勢は護憲派が考える理念から変化しつつあった。それゆえ、彼らは天皇・皇后の行動をそうした情勢に歯止めをかける象徴ととらえ、支持するようになった。

 

 平成の末期、天皇・皇室に対して、人々は空前の規模で支持していた。それは、いわゆる「平成流」の2つの柱への評価であったと思われる。

 第一に、雲仙普賢岳から阪神淡路大震災、東日本大震災へと継続する被災地訪問のあり方である。老体にムチを打っているかのように見えてしまうほど、天皇・皇后は積極的に被災地を訪問し、人々に声をかけた。それが「私」を重要視している世間の風潮のなかで、「公」に奉公していると評価されたのではないか。

 第二に、慰霊の旅に代表される戦争の記憶への取り組みである。世間では戦争体験世代が減少し、その記憶が風化するなかで、天皇・皇后の行動はその掘り起こしでもあった。政権の方針とは異なるように見えるその思想と行動は、それまで皇室を支持していなかった層をも取り込むことに繋がったのである。

2022.05.14(土)
文=河西秀哉