〈新種10種を発見〉公務が最優先で、研究時間が限られていることも影響した? 上皇陛下はなぜ研究テーマに“ハゼ”を選んだのか から続く

 天皇家の長男は将来の天皇となるために特別な教育を受ける。一方でその兄弟は天皇を補佐する役目を果たすように求められ、同じ家庭に育つ兄弟であっても人柄には差が現れてくる……。皇族について多くの著書を持つ小田部雄次氏は天皇家の教育についてそのように紹介する。

 それでは、天皇陛下と秋篠宮殿下の間には、具体的にどのような人柄の違いがあったのか。ここでは同氏の著書『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)の一部を抜粋し、お二人の幼少期の振る舞いに迫る。(全2回の2回目/前編を読む

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平成の天皇の次男として、令和の天皇の弟として

 秋篠宮文仁親王は令和の天皇の5つ下の弟である。明治以後、代々の天皇家はその長男が皇位を継承してきた。天皇家の長男は将来の天皇になるために特別な教育などを受けてきた。しかし、次男や三男たちは、皇位を継ぐ長男と対抗することによる混乱を生じさせないため、天皇を補佐する心がけやふるまいを求められた。昭和天皇の弟である秩父宮、高松宮、三笠宮、平成の天皇の弟である常陸宮らは、それぞれ天皇より一歩身をひいた育ち方をした。秋篠宮も、平成の天皇の次男として、令和の天皇の弟として、将来の皇位継承を期待されない皇族として育ち、秋篠宮自身も周囲も、そうした目やスタンスで接してきた。

 将来の天皇となることが期待された長男の徳仁(浩宮)と、それを期待されない次男の文仁(礼宮)の間には、幼少時からの個性や育ち方の違いがはっきりとあった。徳仁と文仁の幼少時代を侍従として見てきた浜尾実は、『浩宮さま』でこう書く。

〈 浩宮さまと礼宮さまの、ご性格のちがいを感じさせる場面は、数えきれないほどある。

 ひと言でいえば、浩宮さまは、線の細い感じだが、意外にシンの強さを持っておられる方だし、礼宮さまは逞しそうに見えて、意外に感情にモロいところがある方である。(中略)浩宮さまは、お友だちの集団に入ってゆく前に、慎重に、様子をごらんになるといったところがある。入って行ってしまえば、もちまえのやさしさと思いやりがだれにでも通ずるので敬愛されるのであるが、そうなるまで時間がかかるのである。幼稚園入園のときも、初等科入学のときも、そうであった。〉

 

「相手が動物である間はまだ良かった…」礼宮さまの天衣無縫な振る舞い

〈 一方、礼宮さまは、物おじなさるというところがない。すーっと仲間になれるし、たちまち意気投合して相撲ごっこをはじめるという気軽さがおありだった。もし、集団から離れている場面があったとしても、それは、浩宮さまのように、慎重に様子を見ていらっしゃるのではなくて、ご自分はご自分で、ほかのことをやりたいから離れていらっしゃるだけなのである。〉

 浜尾は、浩宮と礼宮の育て方の違いについても、こう述べる。

〈 浩宮さまには、「男の子らしく逞しい子に育っていただきたい」ということを、私は願い続けてき、そのための努力もしてきた。それは、両陛下の強いご希望でもあった。そのために陛下は乗馬や水泳の手ほどきをご自分でなさった。また大きくなってから自動車に酔うようなご体質でも困るということで、陛下はご自分で運転するお車に、浩宮さまをお乗せして御所の庭をぐるぐる回るということもなさったほどである。(中略)ところが、礼宮さまについては、はじめから放っておいても逞しくなられるような、安心感があった。もちろん、スポーツについても学習的なことについても、礼宮さまは浩宮さまと似たコースを辿ってゆかれることになるだろうと思うが、浩宮さまの場合のように、意識して方向づけをする必要がないといった感じが強かったのである。

 というよりも、両陛下は、礼宮さまの場合は、自由奔放に、伸びるところを自然のまま伸ばしたほうがいいとお考えになっていたのではないだろうか。〉

 そして、浜尾は、「自由奔放といえば、礼宮さまの動物好きとその奔放さが結びついて、私はまったく恐れ入ってしまうことが、たびたびあった」と、話を続ける。つまり、夏に軽井沢のプリンスホテルに一家で滞在中、近くの農家を訪問したりしたが、ヤギ、ウシ、ブタなどの家畜のそばに平気で近づき、頭をなでたり抱きあげたりするのは礼宮だったという。「天衣無縫というかなんというか、こわいということをまったく知らないのである」と浜尾は言う。そして、「おつきあいの相手が家畜である間は、まだよかった」と、こう続ける。

2022.03.16(水)
文=小田部雄次