「青大将」を飼う宮様

〈 軽井沢には、青大将やカエルやトカゲなどという薄気味悪い連中もいっぱいいるのだが、礼宮さまの交際範囲は、その連中まで拡がって行ったのである。

 とうとう東京の御所のお部屋で青大将を飼うところまで、礼宮さまの動物好きはエスカレートした。両陛下の海外旅行のお土産におねだりしたカメも飼っていた。カメは可愛いが、青大将には閉口だった。

「浜尾さん、ヘビだよ!」

 とつぜん、尻っぽを持って目の前に突き出されたこともあった。私がビクビクすることをご承知でイタズラなさるのである。〉

 青大将を飼う礼宮は、のちにタイのオオナマズ「プラー・ブック」に関心を持つようになる。

長男は物静か、次男は自由で活動的

 徳仁と文仁の性格の違いについては、秋篠宮と個人的な交流があった毎日新聞社の江森敬治の『秋篠宮さま』にも、いくつか紹介されている。

 江森は、文仁が木登りができないと告白したエピソードを紹介し、「活発であり、よく言えば行動派、悪く言えばやんちゃでわがままという世間一般にあるイメージ」が覆されて驚き、「素顔の殿下」を描こうとしたという。

 江森は、文仁が週刊誌などで自由奔放と書かれることに対して、文仁の反論をこう書く。「長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います」。確かに、長男と次男に対する世間のイメージと実態には、微妙な差があるのだろう。とはいえ、文仁が動物好きなのは確かなようだ。

 

飼っていた巨大トカゲが死んだあと自ら剥製にした文仁さま

「外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです」と、文仁は江森に語っている。江森は間接的に聞いた文仁の次の言葉も紹介する。

〈 動物に対して怖いとか、抵抗があるということは、小さいころからなかった。例えば、幼稚園のころウォーター・モニター(コモドドラゴンに次いで大きくなるトカゲ)という1.5メートルぐらい(来た当時)のオオトカゲを両親がおみやげに持って帰ってきてくれて、家族で飼っていたこともある。父はもちろん大丈夫。母もそれほどいやだということはなかったと思う。〉

 このオオトカゲが死んだあと、文仁は侍従の目黒勝介(侍従の前は平成の天皇の研究助手を務めていた)と一緒に御所の魚類研究室で剥製をつくったという。文仁はオオトカゲの表皮の部分と、それにくっついている筋肉の間に、腐らないようにホルマリンの原液を注入したりした。文仁は「育った環境だと思う。父も魚類だけではなくて、生物全般にすごく興味がある」と語っている。

「ゴキブリをつまんで捨てることもあった」

 プリンス岬のある浜名湖での思い出もある。文仁はこう話す。

〈 小さいころ毎年、浜名湖へ、夏に、湖水浴をしに行っていました。朝に、家族で定置網を見に行くと、いろいろなお魚やカニが捕れます。ある時、その中に、ハモがいて、船のデッキの上をはっていました。口を開けており、鋭い歯がよく見えました。私の兄が火ばしをそのハモの口に入れて遊んでいた。それをまねすればよかったのに、私は自分の指を突っ込んで、そのままかまれてしまった。〉

 

 徳仁はバーベキューの炭をつかむハサミをハモの口の中に入れていたが、文仁は自分の指をいれたのだ。ハモの歯は鋭く、文仁は痛くて泣いたという。文仁は8歳のときに、御所で飼っていたタヌキをなでようとして、足と手をかまれたこともあった。また、高校生のときには元旦に油壺のマリンパークでイルカと握手しようとして、手が開いている口に入り、かまれている。イルカの歯はかなり鋭く、縫うほどではなかったが、今も右手首の付け根にそのあとが残っているらしい。道をはっていた青大将を捕まえようとしてかまれたこともあったという。こうした体験をしながらも、文仁の動物好きは変わらなかった。自宅に出たゴキブリを、つまんで捨てることもあるという。「動物というものがあまりにも身近で、今まで意識しないできましたから。動物といるとホッとするということは確かにありますね」という文仁の言葉を、江森は書いている。

2022.03.16(水)
文=小田部雄次