初主演映画『山歌(サンカ)』が公開される杉田雷麟。稲垣吾郎の息子役を好演し、新人賞を受賞した『半世界』から3年――。役者として、さらに成長した彼が大切にしている大杉漣さんの言葉や、過酷だった新作の撮影を振り返ります。

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●トム・ハンクスに憧れて

――幼い頃の夢は?

 小さい頃からボールに触るのが好きで、4歳になってからはサッカーを習い始め、サッカー選手に憧れていました。僕は身長が低いこともあり、11歳からは足腰などの身体作りも含めて、ボクシングを始めました。あくまでもサッカーのためで、どちらも中学を卒業するまで続けていました。

――そこから俳優を目指すきっかけは?

 親の影響から、映画を観るのが好きだったんです。特に洋画を観ていて、いちばん好きな作品は『グリーンマイル』で、主演のトム・ハンクスさんに憧れていました。それで中学2年生で進学について考えていたとき、今の事務所に履歴書を送りました。高校に通いながら、芸能活動をすることに関しては、両親も応援してくれました。

――本名でもある雷麟という名前の由来を教えてください。

 「雷」は雷のように激しくも厳しいというイメージで、「麟」は難しい漢字であることのインパクトのほかにも、頭が良くなるように、という思いもあるそうです。苗字とのバランスも考えて、デビュー後も、この名前でやっていこうと決めました。

●大杉 漣の言葉を胸に

――そして、2017年に絆創膏のCMでデビューされます。

 初めてのオーディションで決まったものだったんですが、エキストラの方やスタッフさんがいっぱいいるなかで、初めてお芝居をしました。紙で手を切ってしまって、「痛っ!」というセリフを一言言うだけでも、とても恥ずかしかったことを覚えています。

――18年公開の映画『教誨師』では、主演の大杉漣さんの少年時代を演じます。

 出演シーンはわずかだったのですが、初めての映画の現場で、自分次第で撮影が止まってしまうプレッシャーや緊張感に包まれていたことを覚えています。そして、いい意味で、初心にことができる作品でもあるので、今でもよく観返します。また、映画が完成した後、試写会で初めてお会いした大杉さんからの影響もあり、自分にとって転機となった作品といえるかもしれません。

――大杉さんからは、どのような影響を受けたのでしょうか?

 大杉さんが亡くなったとき、新聞に書かれていた「脇でも主役でもどっちでも大丈夫って気概がないといけない。そのなかで、どうやって『大杉 漣』ってものを残すかが大事」という生前の言葉を読んだんです。そして、どんな役であっても自分を残せることに気づかされました。その言葉が書かれた新聞記事は、今でも大切に持っています。

●佐藤浩市、稲垣吾郎の息子役を好演

――18年に放送されたドラマスペシャル「Aではない君と」では、佐藤浩市さんが演じた主人公の息子役であり、少年犯罪の加害者となる役に抜擢されました。

 初対面の浩市さんに、「お前が納得するまで、何度でも付き合ってやる」と言われたことでも、とても思い出深い作品です。この青葉翼という役は、感情を表に出すのがとても難しく、何度も壁にぶつかりました。そのため、浩市さんに助けられながら、自分の殻を破る作品になりましたし、撮影を終えて、役者を続けていく気持ちが一層強くなった作品でもあります。

――19年『半世界』では、稲垣吾郎さん演じる備長炭の職人の息子役を好演されました。

 撮影は「Aではない君と」の前で、初めての地方ロケ。三重県の南伊勢町での撮影でした。現場での居方など、演技していること以外のことも多く学べた現場でした。自分が役についてガチガチに固めていたものを、阪本順治監督の細かい演出によって、自然なものになっていくことが分かりました。

 現場では稲垣さんとはあまりお話しすることはなかったんですが、真剣に役と向き合う姿勢を学ばせてもらいました。また、長谷川博己さんからはアドリブでの対応について学ばせてもらいました。

――『半世界』では、第41回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞ほか、第34回高崎映画祭最優秀新進俳優賞も受賞。自身の演技が評価されたことについては?

 自分がやってきたことを評価してもらえるということは、素直に嬉しかったです。ただ、僕だけの力ではないので、作品に関わった周りのみなさんに感謝しています。僕は過去の作品を観返しても決して満足いかないタイプなので、賞をいただけたことで自分に自信がついたというよりも、その賞を獲った俳優として、もっと気を引き締めようと心がけました。

2022.04.22(金)
文=くれい響
写真=末永裕樹