アカデミー賞最多ノミネート『パワー・オブ・ザ・ドッグ』との共通点

 しずかを「かわいそうな被害者」と定義したのは、あくまで彼女を見ている「我々自身」であるということ。もちろん、対比構造として「まりなもまた被害者であり、歪んでしまった」というドラマは描かれるものの(こちらはどちらかといえば『鬼滅の刃』に近い方法論)、しずかが「自分の苦境を脱するために躊躇なく他者を利用する」ことに対し、バイアスをかけていない部分は非常に現代的であり、本作の大きな特長といえる。

 いわば、『タコピーの原罪』のしずかは、「被害者はこうあるべき」というステレオタイプを破壊する存在でもある。目的のために他者を利用し、使い捨てる行為は我々読者から見れば“悪”であり、非人道的なものだが、そもそもしずかはいじめられていた人間ではあるものの、聖人君子であるとはどこにも描かれていない。本作は、「しずかの見え方が変わる」ことによって、我々読者自身の“原罪”をも暴き出すのだ。

 そしてまた、このようなキャラクターの描き方を「現代的」と評したように、『タコピーの原罪』に連なる人物造形は、近年の漫画はもちろん小説や映画・ドラマといった様々な“物語”で見られる。

 例えば、映画版が2022年5月に劇場公開される『流浪の月』は誘拐事件の被害女児の物語だが、主人公は「かわいそうな子」と周囲から決めつけられることに困惑の色を隠せない。反対に、『呪術廻戦』の伏黒恵は「俺は正義の味方(ヒーロー)じゃない」「俺は不平等に人を助ける」が信条であり、目的達成のためには自らの手を汚すこともいとわない。被害者だからこう、主人公サイドだからこう、といった“常識”にとらわれるのではなく、より「人間らしい」複雑な人格を付加しているのだ。

 また、同じ理論の発展形として、『僕のヒーローアカデミア』の緑谷出久は「戦うことには変わりない……」としながらも、敵(ヴィラン)側の事情を理解しようと腐心する。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎は敵を退治した後、悪鬼ではなく血の通った人として語りかけ、悼む。どちらも、敵=悪と決めつけることへのアンチテーゼが主人公の行動理念にあるのだ。

 作劇の歴史的な面から見ると、これまでにも個人の信念のために法や正義を犯す存在としてアウトロー(無法者)やアンチ・ヒーロー、ダーク・ヒーロー等々がいた(バットマンはその代表格だろう)。愛国心ではなく金によって動く傭兵なども、そのグループに属する存在として描かれてきたように思う。

 このように、正義か悪かで割り切れない複雑なキャラクターはこれまでに世に出た作品でも多くいるのだが、上に述べたような現代の空気に最適化されたフラットな考えを持つキャラクター、特に『タコピーの原罪』のしずかとは大きく異なっている。

 というのも、『タコピーの原罪』の世界においては絶対的な遵守すべき正義というものが描かれておらず、それを子どもたちに教えるはずの親たちが機能していない。そのため、しずかには自分の利益を追求するために他者を利用することに対して、良心の呵責が生まれない。むしろ、それこそが正義であると考えている節さえある。

 正義や常識なんてものはその人それぞれでいかようにも色を変える――というのは、いまを生きる我々にとって非常に納得できるものではないだろうか。

 そして――個人的に『タコピーの原罪』と共通点を多く見出したのが、本年度の第94回米国アカデミー賞において、最多ノミネートを獲得しているNetflix映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』だ。

 この作品は、端的に言えば「未亡人とその息子が、再婚相手の兄にいびられる」話なのだが、登場人物の見え方が変わっていく過程が、そのままドラマ曲線ともリンクしている。上に述べた関係性だと、未亡人とその息子=被害者、再婚相手の兄=加害者に見えることだろう。しかしその関係性は、物語の中でゆっくりと変容していく。

 未亡人は兄から弟を奪った形になり、安定した立場になると飲んだくれて貞淑な妻ではなくなっていく。再婚相手の兄は、心の内に渦巻く憎悪を自制し、態度を軟化させていく。彼の歩み寄りを受け入れた未亡人の連れ子は、誰にも気づかれないように秘かに牙を研ぐ。

 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』では人物それぞれのパワーバランスがどんどん変化していき、決まった枠に収まることがない。そして、物語は観る者が期待する幻想を蹴り倒すような、衝撃的な結末を迎える。

 最終的には、被害者と加害者という考え方そのものが、観客のエゴなのではないか? 各々が自らのために生きている“だけ”なのではないか? と呆然とさせられてしまうことだろう。

 しかもこれを「西部劇」というフォーマットを借りて描いている点が秀逸で、いわば旧体制を現代的感覚で打ち崩しているのだ。こういった諸々のアプローチは、『タコピーの原罪』と重なる。どちらの作品にも、「決めつけることの危うさ」が色濃く反映されているのだ。

 世界最高峰の映画賞において最多ノミネートを獲得したということは、映画史的に大きな意味を持つエポックメイキングな作品であることの証明であり、いまの時代を少なからず反映したものであるともいえる。そういった意味でも、『タコピーの原罪』がいま多くの支持を得ている状況には、大いに頷ける。

 『タコピーの原罪』の下巻の発売は2022年4月4日予定とのことで、原稿執筆段階(3月3日)ではこの作品がどんな着地点を想定しているかは定かではないが、必ずやまだまだ読者を突き落とす仕掛けを用意しているはず。固唾をのんで、フィナーレまで見届けたいものだ。

SYO

映画ライター・編集者。映画、ドラマ、アニメからライフスタイルまで幅広く執筆。これまでインタビューした人物は300人以上。CINEMORE、装苑、映画.com、Real Sound、BRUTUSなどに寄稿。Twitter:@syocinema

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2022.03.12(土)
文=SYO