「屋外の放飼場の周囲には幾重もの人だかりができ、飼育係が外から風太の様子を観察しようにも、見ることさえかないませんでした。来園者が歓声を上げるのを聞いて、『ああ、風太が立ったんだな』と知るような状態でした」と、千葉さんは苦笑する。

「人の多さに疲れてしまわないか」。そう心配した千葉さんは、正午からの1時間を風太の“昼休み”にした。屋内の寝室に入れて、そっとしておいたのだ。午後1時になると、また放飼場に出した。「夜、寝室に入れてからも、あまり関わらないようにして、そーっと見守っていました」と語る。

なぜ風太は立ち上がっていた?

 それにしても、なぜ風太は人の心を捉えたのだろう。

「確かにきれいな立ち姿でした。胸を張るようにしていましたから」と、千葉さんは話す。

 千葉さんの後任で、07年から12年間担当した濱田昌平(はまだ・まさひら)さん(59)は、風太の性格やその頃の放飼場の構造に秘密があったと考えている。

 

「最初に担当になった時、風太は落ち着きのないやつだなと思いました。とにかく動き回る。好奇心が旺盛で、いろんなものを見たがりました。放飼場の外には大勢の人がいます。何だろうとあっちで立ち上がって外を見る。こっちに来てまた立ち上がる。

 当時の放飼場は、今のように高所に小屋を設けていなかったので、外を見ようとすれば、立つしかありませんでした。頻繁に立って、しかもその時間が長いから、来園者は喜んで押しかけます。人に動じない風太はさらに興味を持ち、立ち姿で外を見ようとしました。そうした相乗効果で人気が出ていったのかもしれません」

 風太ブームのおかげで、千葉市動物公園の入園者数は05年度、9年ぶりに80万人を超えた。06年には約88万人を記録した。

レッサーパンダは絶滅危惧種

 一躍スターになった風太だが、立ち姿以外にも画期的なレッサーパンダだった。

 千葉市動物公園に初めて赤ちゃんをもたらしたのである。

2022.01.11(火)
文=葉上太郎