従来のデスゲームものでは描かれなかった側面

 さらに、この構造によって導き出されるのが、先ほどもちらりと述べた「舞台裏」が描かれるということ。デスゲームものを観ていて「こんなことある?」とツッコんだことは、一度や二度ではないだろう。『イカゲーム』においては、その部分の描写に心血が注がれている。

 たとえば、眠らされた参加者たちが運ばれていく過程もきっちり描いたり、脱落者の死体の処理が描かれたり(死体から臓器をくすねようとする謀反人が出てくるのも面白い! この描写によって、運営側の人間くささが強化されている)、翌日のゲームの準備を夜なべしてスタッフたちが行っていたりと、従来のデスゲームものでは「描かれなかった側面」が細かく描写されており、説得力が段違いに増している。

 「ゲーム中の寝食ってどうするの?」という疑問においては、ステージ内に寝床が用意されていたり、食糧配給の列に複数回並ぶ人物が出てきたり、トイレの描写が出て来たりと、徹頭徹尾「この現実世界でデスゲームを成立させるには?」が考え抜かれている。

 ゲームとゲームの間に参加者同士の殺し合いが起こるのも、これまでの作品には見られなかった事件であり(だが、現実的に考えて十分あり得るのが心憎い)、何より衝撃的なのは、第1話の時点で「参加者の過半数が中止を希望」したことにより、1回解散する展開。イカゲームの趣旨として、平等性が謳われているが、出ていく選択肢が用意されているところは、「有りなのか!」と驚いた方も多いのではないか。

 そしてさらに驚嘆させられるのは、一度出ていった参加者のうちほとんどが、自らの意志で「戻ってくる」展開だ。賞金を諦めて命を選んだ結果、元の生活に戻った彼らは「こっちのほうが地獄だ」と痛感する。

 現代の格差社会を痛烈に批判する展開であると同時に、ゲーム中は死の恐怖に苛まれるものの、「ここに集まっているのは同じように人生につまずいたものたちである」という点で、安息を得られてしまうというねじれ構造が、突き刺さる。

 借金取りや警察に追われ逃げ回っていた人々が、自分と同じくらい、もしくはそれ以上に「人生が詰んでいる」他者を見ることで人間らしくいられるようになる――。『イカゲーム』の第1・2話の脚本を完成させるまでにはおよそ6か月もの時間を要したというが、労を尽くした甲斐あって、娯楽性と社会性の見事な配分に仕上がっている。

 つまり『イカゲーム』は、既存のデスゲーム作品を研究したうえで、生み出された作品であるということ。温故知新ではないが、既存作品の長所をピックアップし、そのうえでいち視聴者として感じる「荒唐無稽さ」にリアリティ重視の目線で一つひとつ解答を示していったのが、本作の最大の“凄さ”のように感じる。だからこそ「デスゲームものが苦手」な層にもきっちりとリーチできたのではないだろうか。

 同時に、監督の発言にあるように日本の漫画やアニメ愛もちゃんと感じられるため、日本国内でファンを急拡大させている現状も、非常に納得できる(余談だが、劇中で印象的に使われる名曲『FLY ME TO THE MOON』は、『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングテーマでもある)。

2021.10.24(日)
文=SYO