少女マンガ原作を映画化した、「キラキラ映画」を多く手掛けてきた三木孝浩監督。最新作『夏への扉-キミのいる未来へ-』も公開中の彼が、その個性的なフィルモグラフィを振り返る【前篇】。
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●大林監督に憧れ、映画監督を志す
――幼いころの夢は、何でしたか?
大林宣彦監督の『時をかける少女』を観て、衝撃を受けたこともあり、映画監督になりたかったです。中学のときに、英語のスピーチコンテストで「将来の夢」について語る機会があって、そのときにはすでに「映画監督になりたい!」と言っていましたね。その後、高校で映画同好会を作って、家庭用ビデオカメラで、MV(ミュージックビデオ)風の映像を撮り始めたのですが、そこで実際に映像を作る楽しさを感じていき、東京の大学に行くことを決めました。
――早稲田大学在学中、自主映画『青空』が早稲田インディーズフィルムフェスティバルのグランプリを受賞されます。
大学にある20ぐらいの映画サークルによる大会で、僕が撮ったのは回想がメインのノスタルジックな青春モノ。完全に大林監督、そして岩井俊二監督の影響を大きく受けた作品でした(笑)。3年になったとき、本格的に映像を学びたいと思い、休学して、映像テクノアカデミアという専門学校に通い始めました。そこにはMV制作の実習があり、映画監督になるための一歩として、まずはそちらの道に進むことを決めました。
●どこか悔しさもあるデビュー作『ソラニン』
――そして、1998年にソニー・ミュージックに入社されて、数々のMVを撮られます。
実習の講師がソニーの方だったことも大きかったです。ソニーでは、アーティストの映像周りをプロデュースしつつ、ディレクションもするといったセクションに入りました。自分が作るMVは、どこかストーリー仕立てのものを意識していました。それを10年ぐらい続けた後、会社を辞め、映画監督になることを決めて、スターダストに所属することになりました。制作会社でなく、事務所に所属する映画監督は、当時としては珍しかったと思います。
――2010年、浅野いにお原作のコミックを、宮﨑あおい主演で映画化した『ソラニン』で監督デビューされます。
プロデューサーの久保田修さんに声をかけていただいたのですが、とても恵まれていたと思っています。自分にとって転機となった特別な作品であると同時に、撮らせてもらった作品とも思っているんです。出演者も音楽も撮影も素晴らしいなか、自分はそこについていくことに必死だったからです。でも、今でも多くの人に「好きな作品」と言ってもらえることが嬉しいです。そして、その後に『夏への扉』で10年ぶりにご一緒することになる山﨑賢人くん主演で『管制塔』を撮ることになりました。
2021.07.02(金)
文=くれい響
撮影=山元茂樹