歴史に学ばない政治家たち

ヤマザキ 今回のコロナが蔓延したブラジルの貧民街(ファヴェーラ)なんて、水道設備が整っていないから、日常的に手を洗うこともできない。

中野 むごい。まさに人災です。政治の「治」は治水の「治」と書くように、治水ができる人が有能な政治家であるという見方は正鵠(せいこく)を射ていると思います。

 治水と感染症とは決して無縁ではない。為政者の徳という言葉を持ち出すまでもなく、本当に国家の未来や国民のことをどれだけ考えているかどうか……。

ヤマザキ その点で、今のブラジルは哀れですよ。ボルソナロ大統領という人は、国威発揚と経済にしか目が行かない。「経済最優先、国民の命はその後」と言い切ってはばからない人ですからね。

 「劣悪な環境に置かれた人たちは、もともといなくていい人たち」が持論で、ファヴェーラのことなんかも切り捨て。こうなるとジェノサイドと変わらないですよ。古代ローマ人よりも遅れている。

中野 人間は逆行することもあるということですね。

ヤマザキ 歴史に学べていないですね。古代ローマ人は、当時の医師たちが彼らに分かる範囲のことをしっかり記録として残しています。あれは、昔の疫病は自分たちの時代の疫病とどこがどう違ったのかを比較するための貴重な記録文書なんです。

 ところが、今回にしても、日本の専門家会議は議事録を作っていないらしい。あれはどうしてでしょうか。次にパンデミックが起きた時に参考にしようって気はないのかしら。

中野 ただ、ブラジルと日本を同列には考えられないようにも思うんです。日本は水道設備も整って清潔な暮らしを送ることができるけれど、それが仇になっているところもあるのかもしれない。

 感染防止対策で必死になって走り回る人がなかなか評価されないのも、インフラの恩恵が大きいがために目立たないのかもしれません。

ヤマザキ 確かに。ブラジルのように、喫緊に実力者が求められている国とは違うかも知れません。

 日本はこれまで、なんとなくうまくいっているので、対策や改革のできる実力者に対する強い枯渇感がないかも。

中野 むしろハングリーに動きまわる人は「イタい」って言われちゃう。

ヤマザキ 言われますね。いかにも空気教の国・日本ですよ。とはいっても、このまま安閑(あんかん)としていると、ものすごいしっぺ返しを食らうことになりかねません。それがいちばん恐ろしい。

中野 海外から「ミラクル・ジャパン」とか言われて、浮かれているようでは危ないです。第二次世界大戦期も漠然と「日本は勝つ」と民衆が思い込んでいたのをどうも想起してしまう。

 カミカゼを期待してばかりではねえ……。

 ※本稿は『パンデミックの文明論』(文春新書)の一部を抜粋したものです。

『パンデミックの文明論』

新型コロナについての議論で意気投合した二人が緊急対談。
古代ローマ帝国から現代日本まで、歴史を縦軸に、洋の東西を横軸に目からウロコの文明論が繰り広げられる。世界各国のコロナ対策を見れば、国民性がハッキリ見える。

著 ヤマザキマリ・中野信子
800円+税(文春新書)
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ヤマザキマリ

1967年、東京都生まれ。漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきとの共著、新潮社)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。

中野信子(なかの のぶこ)

1975年、東京都生まれ。東日本国際大学特任教授。脳科学者、医学博士。東京大学工学部応用化学科卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から2010年までフランス国立研究所ニューロスピンに博士研究員として勤務。