江戸時代の日本美術が、東ではやれ写楽だ歌麿だ北斎だと浮世絵版画で盛り上がり、西では若冲だ蕭白だ応挙だと奇想系(だけじゃないけど)絵画が我が世の春を謳歌していたのに比べて、黒船西洋美術が日本へどんどこ流れ込んでくる幕末~明治の日本美術は、ちょっと割を食っているような気がする。柴田是真はそんな時代に活躍し、今のところまだメジャーになりきれていない感のある作家の1人。

烏鷺蒔絵菓子器  柴田是真作  江戸~明治時代  19世紀  東京国立博物館蔵

 とはいえ在世当時の是真は、実は大変な人気作家だった。それも海外で。いわば幕末明治の「クール・ジャパン」を地で行った作家なのだ。現在も欧米での是真人気は継続中で、オークションに作品が登場すれば、いずれも高値で落札されている。ではいったい、是真の何が評価されているのか。

五節句蒔絵手箱  柴田是真作  江戸~明治時代  19世紀  サントリー美術館蔵(東京) [後期展示]

 宮彫師(社寺の欄間や柱に彫刻を施す職人)の子として生まれた是真は、11歳で蒔絵師に弟子入りして蒔絵の技法を習得、その後は円山応挙の流れを汲む四条派の絵師にも学び、絵画と漆工、両方の技術に熟達する。

 是真以前の漆芸作品で名を知られた琳派の作家たち、たとえば本阿弥光悦や尾形光琳の場合は、どの素材を使い、どんなデザインで、というアートディレクションはするけれども、実際に手を動かして作品を制作するのは職人の分担だった。

 もちろんそれが悪いわけではない。光悦は漆芸、金工、染織など、多様な工芸技術が総合された刀剣を扱う家の出身だったからこそ、それぞれの工芸の特長を知り抜いた上で、専門の技術を深く究めた職人には思いつかない技法や素材の組み合わせ、デザインを実現できた。そして呉服商「雁金屋」のおぼっちゃま光琳は、そうした洗練されたものたちに囲まれて育ったから、同じようにイメージをふくらませることができたのだ。

夕顔蒔絵板戸  柴田是真・三浦乾也合作  江戸~明治時代  19世紀  根津美術館蔵

 是真の場合は幸運にも、洒脱で洗練されたデザインの発想力とそれを実現する技術を共に身につけていたため、自らの手でアイディアを具体化していったところが、琳派の先達とは異なる。

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2012.11.24(土)