木に登って「お富さん」を歌う

会場となった「本の場所」は、CMディレクター、小説家の川崎徹氏が中心となって運営するイベントスペース。
会場となった「本の場所」は、CMディレクター、小説家の川崎徹氏が中心となって運営するイベントスペース。

 ここまで音楽の話がまったく出てきませんでしたが、僕が最初に音楽の世界に足を踏み入れたのは、3歳の時のこと。

 というのも、母親がずっとピアノをやっていたんですね。一応東京芸大を出てはいるんですけど、そこそこの才能だし、日本が戦争に巻き込まれていた時代だったこともあり、ピアニストになりたいという希望が叶うことはなかった。それで、学校に勤めてしばらく音楽の先生をやったりしていたんです。

 実現しなかった自分の夢を息子に果たしてもらおうという親の勝手な考えから、僕はピアノを無理矢理教え込まれることになったわけです。

 ただ、その頃から本当に、クラシックみたいなものがどうしても肌に合わなかった。

 いつも朝起きると、NHKのラジオか何かからクラシックが流れていたんですが、それを聴くだけで貧乏臭い気持ちになって、クラシックというものに対して、ほとんど嫌悪に近い感覚しか持てずにいたんです。

 ちょうど僕が幼稚園の頃、春日八郎の「お富さん」(作詞/山崎正 作曲/渡久地政信)という曲が大ヒットしました。「粋な黒塀」とか「見越しの松」とか言われても子どもには全く意味が分からないんですが、この歌をフルコーラス完璧に覚えて、隣の家の栗の木のてっぺんに登ってものすごい大声で歌ってたんです。

 母親はそれが相当恥ずかしかったらしいんですが、僕はといえば、耳はすごくよかったから、譜面も見ずに、ピアノの鍵盤で「お富さん」のメロディーを再現することができた。

 一方、クラシックの音楽教育、例えばバイエルを弾かされたりすることは、相変わらず嫌で嫌でしょうがなかったんです。

 ただ、その頃に母親から教わったことが、今の自分の音楽を作る上での土台、基礎になっているという事実、これは確かです。

2018.10.27(土)
構成=下井草 秀(文化デリック)
撮影=釜谷洋史