現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2015年に『流』で第153回直木三十五賞を受賞した東山彰良さんが長崎県の斑島灯台と大碆鼻灯台を訪れました。
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もし灯台のうちに あなたを認めるなら
灯台をめぐる旅の二日目は、小値賀(おぢか)島のお隣の無人島で幕を開けた。
午前七時二十五分の町営船「はまゆう」に乗り込めば、三十五分ほどで野崎島に着く。島に灯台はないけれど、憧れの旧野首(きゅうのくび)教会が私を待っている。
天気は快晴。海は青く、島影から射しこむ朝陽は目もくらむほどまぶしい。野崎島は早くも草いきれでむんむんしていた。ガイドを務めてくださったのは、野崎島自然学塾村塾長の前田さんで、たしか六十五歳だとおっしゃっていた。よく陽に灼けた顔には野趣があり、足腰はしゃんとしていて、荒々しい生命力にあふれていた。
かつては三つの集落に六百五十人以上が暮らしていた野崎島だが、高度経済成長期に多くの島民が島を離れた。その後も人口は減りつづけ、最後の島民である沖(おき)ノ神島(こうじま)神社の神官が二〇〇一年に島を出たあとはほぼ無人島になっている。
そんな情報を前もって仕入れていたものだから、野崎島へ行くにあたって、私には期待と同じくらい懸念もあった。これからディストピアを探検するのだという期待に胸を躍らせつつ、そのいっぽうで用を足すときはやっぱり草叢(くさむら)に隠れてするんだろうなとビビってもいた。しかし野ぐそのひとつもできないようじゃ真の冒険家とは言えないので、私はこれを自分が成長するための好機と捉えることにした。
が、私の期待と懸念はどちらも裏切られた。たしかに現在、野崎島に定住している人はいない。しかし島を訪れる観光客のためにビジターセンターと野崎島自然学塾村には清潔なトイレがあり、飲み物の自動販売機があり、心地よい冷房まであった。
「週末なんかは登山客がいっぱい来るとよ」前田さんが言った。「その人たちば連れてずっと山にのぼらないかんっちゃん」
物事にはいつだって一長一短ある。ディストピアとしての島の魅力は半減したものの、少なくともこれで腹を押さえて藪のなかへ駆け込まずに済むというわけだ。
とにかく鹿の多い島だった。廃墟(はいきょ)や草原をめぐり歩く私たちを、鹿たちはまるで伏兵のように木陰からじっとうかがっていた。視線を感じてふり向くと、そこにつぶらな目をした鹿がいる。奈良公園にいる人馴れした横着な鹿とちがって、軽やかに林のなかを駆けてゆくその姿はとても幻想的だった。樹が廃墟の屋根を突き破って枝を広げ、青い実をたくさんつけている。
「イタビカズラやね、イチジクの仲間たい」前田さんがひとつもいで食べさせてくれた。
「このへんの言葉でスエミちゅうとよ。ジャムにしたら美味かよ」
たしかにそれはイチジクで、甘くて美味しかった。
