「怒るなら私じゃなく、史実になのに」といつもツッコんでました(笑)
――それにしても、蔦重のまわりは本当に人がたくさん死にますよね。蔦重を守ることで命を落とした新さんの他にも、蔦重に乗せられて死を選ばざるを得なくなった恋川春町(岡山天音)先生もいて。
森下 新之助とうつせみと豊坊と、冒頭の朝顔姉さん(愛希れいか)は確かに私が作って私が殺したんですけど、他の人たちは史実で死んでいくので、どうしようもない。蔦重がそれをどう思っていたかは、平賀源内(安田顕)の言葉「書を以て世を耕す」に象徴されていると思うんですね。だからこそ止まってはいけない。だからこそ本を作らなきゃいけないし、本を売らなきゃいけない。彼はずっとそう思っていたんじゃないかなと。
――「鬼脚本家」という声もありましたが(笑)。SNSなどでの反響はご覧になっていましたか。
森下 反響は見ています。でも、私、オリキャラぐらいしか殺してないんですよ(笑)。それに、反響がゼロになったら死にたくなると思うので、どんな反響であっても、基本的にはありがたく受け止めています(笑)。観てもらえることが第一ですので。でも、心の中で冷静に考えて、「殺したのは私じゃなくて、史実」「怒るなら私じゃなく、史実なのに」といつもツッコんでました(笑)。
――恋川春町先生の最期の描き方も印象的でした。
森下 彼は、最初はふんどし一丁で溺死する予定だったんですよ。でも、春町先生は、戯作者の自分と武士としての自分という2つをがっつり身の中に立てている人で、溺死だと武家の春町がどこに行ったってことになってしまうことに気づいたんですね。それで、どうしようと言ったら、「じゃあ豆腐の角に頭をぶつけたらいいんじゃないですか」と藤並(英樹)さん(制作統括)が言って。そうか、武家の部分は切腹で、戯作者の方は豆腐の角でと。そういうハイブリッドな最期となりました。
――死の描き方で言うと、平賀源内の死についても、死体は見せず、お墓だけだったところから、「もしかしたら?」という気持ちもあり、それが後半になって「生きているかも」という話になっていく。大河ドラマでこれだけミステリー仕立てのものは今までなかったんじゃないでしょうか。
森下 私が扱ったこの時代の資料がそもそもミステリー仕立てというか、結局よくわからないものが多かったんですね。それこそ家基(奥智哉)の死や、家治(眞島秀和)の死で、側近の日記や町方の噂など、とにかくいろんなものが記録で残っていて。でも、公式記録はこうだった、でもこういう文書もあるよということで、結局謎のままの部分がものすごく多かったんですよね。資料が残っている時代だからこそ余計にわからない感じになっている。そういう部分を素直に反映すると、ミステリー仕立てになった。生きてるかもしれんやんとか、この人が殺したかもしれんやんという部分にワクワクはありました。
――松平定信(井上祐貴)の描き方も印象的でした。一般的には融通が利かない、偉そう、ちょっと嫌なやつというイメージが強いですが、ドラマでは一橋治済への報復後に蔦重の店を訪れ、カ行を入れて話す吉原の隠語で「一度来てみたかった」と話したり、黄表紙はみんな読んでいたりと、実は遊び心があって文化が大好きでオタクというチャーミングな一面が描かれています。どんなところに魅力を感じたのでしょうか。
森下 定信が後年になって昔のことをいろいろ書いていて、その中にものすごい強がりの記述があるんですよ。どんな政でも長く続けるとだいたい文句を言われるものだから、あの辺でやめといた方がよかったんや。織り込み済みや、ということを(笑)。でも、その一方で、当時はなんとか政に残ろうとした書面をめっちゃ出したという記録が残っていて。そういうところが何というか、「この人、愛せるな」と思っちゃったんですよ。
――意外と人間臭い人だったんですね。
森下 本編には入れられなかったんですけど、「大名かたぎ」という絵のない黄表紙のようなものを彼が創作で書いていて、「殿様が好き勝手やるから周りがついていくしかない」という内容なんですよ。一方で「本当に良い家臣というのは耳に痛いことを言うものだ。だからみんな言ってね」なんてことも言うんです。でも、本当に言ったら、めちゃくちゃ論破するんですよ(笑)。そういうところがすごく人間臭い人で、矛盾したぐちゃぐちゃっとしたところを入れ込みたいなと。定信は自分で書くぐらいですから、もともと黄表紙がすごい好きだったんじゃないか。この後、老中になって南畝に仕事を頼んだりもするので、そういうところを描く尺はなかったんですが、感じてもらえるところがあったらいいなと思いながらああいう仕立てにしました(笑)。
――史実を描くことと、エンターテインメントとしての物語を紡ぐことの両立について意識されたことはありますか。
森下 もちろん史実は大事にしますが、やっぱり見てもらえることが第一。この作品では、資料が残っているからこそわからない謎や、人物の矛盾したところも含めて、生きた人間として描きたかった。定信も、源内も、蔦重も、みんなぐちゃぐちゃしていて、矛盾だらけで、だからこそ面白い。そういうところを大事にしながら、エンターテインメントとして楽しんでもらえる物語を目指しました。
》【続きを読む】「この物語は『欲の話』なんです」脚本家・森下佳子が振り返る、『べらぼう』を通して描きたかったこと【いよいよ本日最終回!】










