毎回誰かが少しずつ自由になっていく
話は飛ぶようだが、「長く一緒に暮らして、良好な関係を保っている人たち」を見ていると、料理をふくめて家事すべてを基本的に「お互いがやること」と考えているケースが多いように私は感じている。きょうは私がやっているけど、出来ないときは向こうがやる。今のところ私が掃除担当だけど、仕事で家を空けるときは向こうもする。
出来ないことや苦手なことは補い合うし分担もするが、基本的に「共にやる」という意識が無理なく保持されている。
料理はするけど、食事の支度や片付けは向こうもやる。掃除をするのは私だけど、掃除しやすいように部屋を片付けたり、ごみ袋を取り換えたりは向こう……など、協力して事にあたるがベースになっている。家事における不均衡が生まれていない。加えて、やってくれたことに対する気づきが早く、「あ、これやってくれたのか。ありがと!」という謝意をカジュアルに発し合える。
端的にいえば、生活していく上での目線が一緒なのだと思う。同じ位置に立って生活を見渡さないと、見落とすことが日々生まれて、溝が生まれてしまうもの。
第8話でほんのちょっと家族に歩み寄ってきた勝男・父。彼の生活目線は、もっと変わっていくだろうか。また勝男自身もさらに進化していくのだろうか。「自分らしくでいい」を理解したように、「女らしく」など他のバイアスにも疑問を持って、より広い価値観を得ていくのだろうか。毎回誰かが少しずつ自由になっていく展開が本当に好ましい。
さて、原稿に取り組んでいるうち次回はもう最終話だ。どんなフィナーレになるのか、楽しみに待ちたい。
白央篤司(はくおう・あつし)
1975年東京都生まれ。フードライター、コラムニスト。「暮らしと食」をテーマに執筆する。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『自炊力』(光文社新書)、『台所をひらく』(大和書房)、『はじめての胃もたれ』(太田出版)など。旅、酒、古い映画好き。
https://note.com/hakuo416/n/n77eec2eecddd
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