笛の音に誘われて
法然上人は「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えればどんな人も等しく極楽往生すると説かれました。大切な人を亡くした時、人生に不安を感じた時、阿弥陀様が心の依り所になるという、なんとも優しいみ教えなんですね。
どうも一般寺院というとお葬式やお墓のイメージしかなく、若かった私はこれからいかに生きるかを模索している真っ最中で、お念仏やお浄土のことなど全く興味がありませんでした。そんなこともあり、お墓のない南都のお寺に惹かれて青春時代を過ごしていたのです。
数年前、ひょんなことから知恩院に通うことになりました。雅楽の友人に知恩院の僧侶である福原徹心上人がおられ、個人的に龍笛を習うことになりました。知恩院には法要の付楽を担当する「知恩院雅楽会」があり、徹心上人は僧侶兼楽人として御活躍でいらっしゃいます。雅楽に関する美術品を収集する癖がおありの、一風変わったお坊さんです。
「なんだかこの人、お坊さんぽい」と思ってはいましたが、まさか知恩院のお坊さんとは、私としたことが全く見抜くことができませんでした。
これが浄土宗との再会となりました。子供の頃から聞いていたお念仏の声が山内のあちこちから聞こえ、とても懐かしい気がしました。
お稽古に伺うと徹心上人の笛の音がいつも響いていました。雨音に混じる笛の音はことさら風情があり、庭先で立ち尽くし聞いていたこともあります。お稽古の合間には山内をご案内いただいたり、法然さんや知恩院のしきたりなどのお話をしてくださったり。笛は今ひとつ上達しないのですが、知恩院に親しみ、はからずも機関誌の絵を描く画家としてお育ていただいたのでした。
2015.12.25(金)
文・撮影=中田文花