写真は「距離の遊び」だと、ベルリンの夜の写真から知る

ベルリンの夜の街を撮ったシリーズ作品で展示は構成される。街灯や信号、ビルから漏れる灯りは、かくも色とりどりで表情豊かなのかと改めて気づかされる。併せて、新作となる映像作品も発表。(C)2015野口里佳

 ベルリン在住の写真家・野口里佳は日頃、自身の写真をプリントする暗室へ2階建てバスで通っている。あるとき彼女は、車窓越しに街の様子を撮ろうと思い立つ。2階の最前列席から撮るのが、見晴らしもよくていいのだけれど、一つ問題がある。その席は、当然ながら皆に人気で、なかなか空いていない。

 しばし考え、夜を待つことにした。景色を眺めたい人は、たいてい日中に乗り込んでくるから。夜に乗ると、首尾よく最前列を確保できた。古いフィルムカメラのレンズを、存分に車窓の外へ向けた。

 大きな窓の向こうで、刻々と移り変わるベルリンの夜景は、季節が冬だったこともあってさほど明るくない。暗がりに浮かび上がる通行人の服装から察するに、冷え込みはずいぶん厳しそう。それでも赤、白、青、緑……。ガラスのせいで滲んだ灯りからは、ほのかな温もりも伝わる。

 そんな写真をまとめて観られるのが、野口の個展「夜の星へ」。写真群を前にすると、ベルリンの街にさ迷い出たかのよう、とまでは言わぬまでも、ホームタウンを移動しているときの落ち着きと、夜の戸外にいるちょっとした高揚感に包まれる。そう、作品と対峙しているだけで、撮り手の心持ちを追体験できる気がしてくるのだ。

(C)2015野口里佳

 強く漂い出るこの親密さは、いったいどこからくるんだろう。写真を眺め考えを巡らせば、ひょっとすると距離の問題じゃないかと思い至る。

 がんばって2階の最前列を確保した甲斐あって、被写体の街は、車窓というスクリーンにぐっと迫る。建物の壁や車、人の影が思いのほか大きく写し出されて驚かされる。

 そうした実際の距離だけでなく、撮り手の気持ちだって、被写体の夜景とは近しい関係にあると窺える。そこは馴染みのバスルートの上なのだし、2004年以来この街に住んでいる野口にとって、ベルリンの街並みに強い愛着があることは容易に想像できる。

 それゆえ、展示されている写真はどれも、物理的にも心理的にも距離が近しく感じられる。作者が対象とどんな距離をとっているのか。どのような関係を望んだのか。その案配を探ったり見出したりするのが、写真作品を観る醍醐味の一つ。野口作品は、そうした恰好の楽しみのタネを提供してくれる。

 1990年代から作品を発表し続ける野口里佳は当初、工事現場に取材した「創造の記録」や、富士山で撮影した「フジヤマ」などで、野生動物と対するみたいに被写体と距離を保ち、そっと眺めやるような視線が際立つ作品をつくってきた。相手をじっと見つめ肯定する視線は一貫しているけれど、時代を経て、距離のとり方は明らかに異なってきた。それはなぜなのか、どんな変化が写真家に訪れたのかと、勝手な想像を巡らすのもいい。

 「夜の星へ」という詩的な響きのタイトルがぴったりな作品世界へ、私たちも大いに没入して遊んでみたい。

野口里佳写真展『夜の星へ』
会場 キヤノンギャラリー S(東京・品川)
会期 2015年12月17日(木)~2016年2月8日(月)
料金 無料
電話番号 03-6719-9021
URL http://cweb.canon.jp/gallery

2015.12.19(土)
文=山内宏泰

CREA 2016年1月号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

この記事の掲載号

冬にしたいふだんのこと、と映画

CREA 2016年1月号

冬にしたいふだんのこと、と映画

定価780円