かわいい童女、なぜ小僧さん姿?

田舞 八乙女は菖蒲(あやめ)で飾った金扇子の笠を戴く。

 大勢の出仕者が列をなして御田に参集してきました。いよいよ芸能の数々が披露されます。街中にしてはとても広大な御田は約2反(約20アール)、真ん中に舞台が設えてあります。

 御田植式場のプログラムを御紹介しましょう。

  • (1) 修祓
     御田を祓い清め、御神水を田に注ぐ。
  • (2) 早苗授与
     「植女」が「替植女」に早苗を授け、田植えが始まる。
  • (3) 田舞
     枕草子にも記された歌詞にあわせ「八乙女」が古雅な手振りの神楽を舞う。
  • (4) 神田代舞
     「御稔女(みとしめ)」が豊穣祈願の舞を舞う。昭和23年の作舞。
  • (5) 風流武者行事
     
    「侍大将」が武運長久の風流(ふりゅう)の所作を行う。
  • (6) 棒打合戦
     「甲冑武者」につづき、紅白の「雑兵」が合戦を行う。虫封じのまじないといわれる。
  • (7) 田植踊
     「替植女」の太鼓と謡に合わせて「早乙女」が踊る。
  • (8) 住吉踊
     「教導師」の拍子と謡に合わせて「童女」が踊る。
五穀豊穣、家庭和楽などの願いが込められた住吉踊。戦国時代や江戸時代には全国を巡っていた。現在は小学生、中学生によって踊りが奉納されている。

 いかにも御田植神事らしい田舞や田植踊にくわえて興味深いのが住吉踊です。伝承によると神功皇后が堺の浜に上陸されたときの歓迎の踊りに由来するそうです。

 「教導師」が茜染めの布を廻らした朱傘の長柄を、軽快に叩きながら歌い、「童女」が心の字を書くように飛び跳ね団扇を打ちながら踊ります。

 エー 住吉さまの イヤホエ
 その名も高き住吉の
 摂津浪速の神踊り……

 大傘に見立てた菅笠には同じく茜染めの布が廻らされ、着物は白の単衣に黒の腰衣を付けています。

 これはお寺の小僧さんの姿であることを尼さんの私は見逃しません! 神社で僧形? きっと神仏習合の名残であろうと思い調べてみました。

 東大寺に手向山八幡宮、興福寺に春日大社、と古来お寺と神社はワンペアでした。住吉大社にもかつて神宮寺というお寺がありましたが、明治の廃仏毀釈で廃寺になってしまいました。神宮寺の社僧が伝えていた住吉踊も姿を消したかに見えましたが、なんと民間で伝承されていたのだそうです。大正11年、公式に復興され、御田植神事に加わることになったという数奇な運命を辿った踊りなのです。

 このように田植え歌や芸能の数々を耳に奉耕者、替植女が早苗を植えていきます。田植えは重労働ですから田植え歌で気を紛らわせ、励ましあい、リズムに合わせ植え付けていったのです。

 農耕の機械化に伴い、消滅していく田植え歌を、神事の中で伝えていくのはとても大切なことですね。

 これらの奉納が終わる頃、御田の田植えも終わります。

【やはらかきみどりごの髪撫づるやう風は早苗をゆらして吹きぬ 文花】

代掻きとは、田植えのために水田に水を入れて土をかいならす作業です。今は牛の代わりに耕耘機やトラクターが活躍していますね。

2015.05.30(土)
文・撮影=中田文花