チンチン電車に乗ってお参りに行こう
石畳に敷かれたレールを走る路面電車がカターンコトーンと軽やかに音を立て、警笛がプワ~ンとけだるく鳴った――子供の頃、路面電車のやさしい音を枕の下に聴きながら眠っていました。祖母の家が住吉大社に近く、電車道に面していたので、この音を聞くと私は今でも懐かしさに胸がキュンとするのです。今日はこの阪堺線の路面電車に乗って初夏の住吉大社に行ってみましょう。
昭和の大阪の雰囲気が残る沿線の風景は、天王寺を出て帝塚山を過ぎるあたりから、なんとなく空に海の気配を感じるようになります。万葉人が恋忘れ貝を拾い、遣唐使も船出した住吉の海はどこにあるのでしょうか。明石の君が光源氏の住吉詣を舟から悲しく見つめた海は。そうだ、こんな時はスマホの地図を見てみましょう。海は……埋め立てられてはるか遠くにありました。
住吉公園駅で降りて東に向かって歩くと間もなく、巨大な石灯籠が目に入ります。
住吉大社は、全国に2000以上もあるといわれる住吉神社の総本社です。海の神様、お祓いの神様として知られています。住吉大社の歴史は古く、平成23年には御鎮座1800年が盛大に祝われました。
まずは有名な反橋(太鼓橋)を渡り本殿にお参りしましょう。住吉造の社殿(国宝)は四棟あり、まるで海原を行く大きな船団のようで威風堂々とした佇まいです。「住吉造(すみよしづくり)」と呼ばれる古風な建築様式を今に伝えています。力強い直線の屋根が特徴です。
また住吉大社の神楽女(かぐらめ)さん(巫女さんのこと)の挿頭(かざし)にも注目です。松の木に鏡、そして白鷺が二羽とまっているという大変珍しいものです。
遊女も神事に加わる理由とは
そして、毎年6月14日には、国の重要無形民俗文化財指定「御田植神事(おたうえしんじ)」が行われます。今は見ることの少なくなった日本の田植えの原風景、そして古式ゆかしい芸能の数々を見ることが出来るのです。
午後1時からの本殿祭でひときわ目を引くのが8人の植女(うえめ)です。緑の薄絹を貼った笠にはアヤメ、綿の花が飾られ、薄絹から透けて見える白化粧の顔、紅い唇がなんともなまめかしい。諸肩を脱いだ緑色の水干(すいかん)に赤い大襷(たすき)。素足に草履をはいています。
この華やかな出で立ちの植女は今でこそ上方文化芸能運営委員会の方々が継承されていますが、元々は遊女だったそうです。
なぜ聖なる神事に遊女なのでしょう。
伝承によれば、住吉大社御鎮座の際、神功皇后が長門国からこの御供田に植女を召し、その末裔が乳守(ちもり/大阪府堺市にあった旧地名)の遊女になったそうです。古来、遊女と巫女は深いかかわりがあった残影をここに見ることが出来ます。遊女が早苗に宿る穀霊の力を増強させるのであろうと感じています。
植女たちは白粉を塗る所作をする粉黛式(ふんたいしき)などの前儀を経て神事への参列資格を得ます。そして御田の中央舞台で実際に苗を植え付ける替植女(かえうえめ)に早苗を授け、役を終えます。
ここでちょっと目を留めていただきたいのが、代掻きをする牛の背や、植女の笠に、と色々なところに飾られている造花です。これまでご紹介してきました東大寺お水取り、薬師寺花会式、四天王寺聖霊会にも造花がありましたが、住吉大社の造花は綿の花です。赤、黄、緑の折り紙で作られた素朴なもので、雷よけのお守りだそうです。
神事は御田の柵の外からも見ることは出来ますが、せっかくですので解説書のついた有料観覧席をおすすめします。早苗を揺らして水田を渡る風が爽やかで、初夏のみずみずしさを満喫できます。
2015.05.30(土)
文・撮影=中田文花