"無言実行"で結果を出す

――デビュー1年後ぐらいには、大企業である「シーシーティー・テレコム」(現「シーシーティー・フォルティス」/中建富通集団)会長(クレメント・マック)の御曹司ということで、大きなバッシングを受け、ファンへの賄賂疑惑は裁判沙汰にもなりました。それでも、香港で音楽活動を続けていった理由は何でしょうか?

 それぞれの選択は自由だと思いますが、諦めてしまうことは、とても簡単なことだと思うんです。そして、ゴシップというものはエンタテインメント・ビジネスの一部であることは十分に理解しています。僕はキャラクター的にもベラベラ喋る人間ではないので、バッシングされた当時は何もコメントを出しませんでした。むしろ“無言実行”というか、声は張り上げず、やりたいことをやって結果を出す、ということを貫いてきました。そういう姿勢でいたので、誰かに何かを強いられることなく、作品を発表できたんだと思います。

――07年にリリースしたアルバム「Chapel of Dawn」では高木完さんや、スチャダラパーのシンコさんとコラボするなど、精力的な活動をしています。でも、正直な話、あなたがデビューした02年あたりをピークに、香港の音楽シーンは停滞していると思われます。

 02年あたりをピークに香港の音楽シーンが縮小している、衰えているのは確かです。02年は僕を含め、30組以上もの新人ミュージシャンがデビューしていますが、現在はわずかな数しかデビューしていません。それに、音楽制作=プロモーションみたいなことになっているのも確かで、ほかの国と同様、収入源はライブ・コンサートになっています。一方、一時期衰退が囁かれた香港映画界は、力を取り戻している感じがします。だからといって、音楽活動を諦めるつもりはありません。わずかでもマーケットはあると信じています。どうやってそのマーケットを広げていくのか――これが重要だと思います。

2014.10.17(金)
文=くれい響
撮影=榎本麻美