古田織部の斬新な美意識を検証し、体験する

 利休亡きあと、織部は秀吉最晩年の御伽衆(一流の文化人が側近として身近に仕え、教養を進講した)の一員となり、遅くとも慶長4年(1599)には茶の湯名人、天下一宗匠の名を得て、茶の湯の世界の新しいリーダーとして認められる存在になっていった。にもかかわらず、ある書では名人、別の書では下手と腐されているのは、その斬新な美意識への反発があったからだろうか。

 織部の妹と結婚した茶人・藪内剣仲に贈った古萩茶碗「是界坊」は悠然たる歪みに、割高台と、その後の織部の好みを物語る「原型」にも見えるし(「大織部展」に出展)、窯の中で大きなヒビの入った水指「破袋」(「大織部展」に出展)に「これも一種の趣き」「今後これ程のものは出ないだろうから」と手紙を添えるなど、利休が避けた作為に基づく「ゆがみ」「ひずみ」「破れ」は、織部の好むところであったようだ。

《黒織部菊文茶碗》
重要文化財《伊賀水指 銘 破袋》五島美術館 (展示期間9月6日~30日)

 こうした、織部本人との関わりがはっきりしている作はごく少ない。なぜなら、そのあと慶長20年(1615)、師に倣うかのように、織部もまた徳川家康に切腹を命じられたからだ。大坂方と内通し、家康・秀忠の暗殺計画にかかわった、というのがその理由である以上、火の粉がかかることを避けるため、織部につながる書状などは多くが処分されただろう。織部の息子たちも連座して切腹し、家名は断絶。その名は「織部焼」にだけ、わずかに留められることになった。

 織部焼は美濃、現在の岐阜県東濃地方で焼かれた。隣り合う「瀬戸」と混同されがちだが、中世以来の焼きもの生産地として栄えてきた美濃は、黄瀬戸、瀬戸黒、志野などの茶碗から水指、香合、そして食器に到るまで、あらゆる種類の器をつくる大生産地だった。そして慶長10年頃(1605)、美濃地方に登り窯という新しい技術が導入されたことで、鮮やかな青緑色の釉薬を基調に、白泥や鉄絵で奔放な文様を表した「織部焼」が、大量に焼かれ、京都へ持ち込まれたのである。

 この時期、確かにまだ織部は存命だが、「織部焼」のすべてに関わっていたとは、到底考えられない。利休が拓いた国産の茶陶というジャンルが、平和と商品経済の発展の中で厚みと豊かさを増し、破格な造形を志向した織部の感覚をテコに、現場の陶工たちが一作一作に個性を与えようと格闘したところから生まれてきたのが、織部焼の正体ではなかったのか。

 織部の400年忌を記念した「大織部」展では、織部との関わりの明らかな茶道具のほか、同時代に花開いた織部焼、全国の窯場でつくられた桃山陶の名品、そして織部が考案した茶室「燕庵」(藪内剣仲に始まる藪内流の庵号/茶室)を実寸で写した茶室を、展示会場に再現。織部の美意識をさまざまな方向から検証、体験することができる。

重要文化財《織部松皮菱形手鉢》北村美術館
《織部千鳥形向付》岐阜市歴史博物館
《織部南蛮人燭台》サントリー美術館

『古田織部四〇〇年忌 大織部展』
URL http://www.cpm-gifu.jp/museum/
会場 岐阜県現代陶芸美術館 ギャラリーI
会期 2014年9月6日(土)~10月26日(日)
休館日 9月8日(月)、10月20日(月)
入場料 一般800円(600円)/大学生600円(400円)/高校生以下無料、団体割引あり
※( )内は前売料金
問い合わせ先 0572-28-3100

橋本麻里

橋本麻里 (はしもと まり)
ライター/エディター。1972年生まれ。明治学院大学非常勤講師。近著に『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)、共著に『チェーザレ・ボルジアを知っていますか?』(講談社)、『恋する春画』(新潮社)など。

Column

橋本麻里の「この美術展を見逃すな!」

古今東西の仏像、茶道具から、油絵、写真、マンガまで。ライターの橋本麻里さんが女子的目線で選んだ必見の美術展を愛情いっぱいで紹介します。 「なるほど、そういうことだったのか!」「面白い!」と行きたくなること請け合いです。

2014.08.30(土)
文=橋本麻里