「催眠術にかかっている設定だから我慢して…」

阿川 催眠術にかかっている設定だったから、痛くてしょうがないのに、声も出せずに我慢したんですね。

近田 殊勝だよ。そういう性格だから、後に出世したんだろうね。

阿川 翌日になっても痛みが続くから、お母さんに連れられて病院に行ったら、骨にひびが入っていたらしい。

近田 洒落にならないなあ。

阿川 龍之介ちゃんは幼稚舎からの生粋の慶應ボーイなんだけど、大学生になって、ガールフレンドから電話がかかってきたそうなんです。お父さんが出て、「おーい。龍之介、山田さんから電話だぞ。えっ、居留守を使っといて? ……えーと、龍之介は、留守です」と対応した。

近田 居留守だなんて、つれない態度だねえ。

阿川 いや、龍之介ちゃんは、本当に留守だったんですよ。

近田 じゃあ、お父さんが一芝居打ったわけ?

阿川 そう。受話器の口を押さえることもなく、さっきみたいなこと言ったものだから、相手には丸聞こえで、龍之介ちゃんが居留守使ったと思うわけですよ。翌日、その彼女に会ったら、プイッとそっぽ向かれて、龍之介ちゃんには、その理由が皆目分からなかったらしい。

近田 ひどいなあ。

阿川 また、別のガールフレンドから「田中と申しますけど、龍之介さんいらっしゃいますか」と電話がかかってきた時は、お父さんが「はいはい、息子がいつもお世話になってます。こないだ、箱根に一緒に旅行した田中さんですよね」と答える。相手は、「いや、行ってませんが……」。

近田 龍之介さんはさ、そもそも、誰とも箱根なんか行ってないわけでしょ?

阿川 そうなんですよ。龍之介ちゃんは、すっかり父親のおもちゃにされていた。

次のページ 北杜夫は娘には本当に優しかった