斑島灯台の個性はナイーブさ
前日にも私たちを案内してくれた佐世保海上保安部の二瀬さんと吉谷さんが待ってくれていた。
灯台の内部へ入るための扉は、扉というよりは潜水艦のハッチみたいだった。鍵を使って施錠するのではなく、なんと扉の数カ所をボルトで留めている。そのボルトを、二瀬さんと吉谷さんが工具を使ってひとつひとつ外して扉を開けてくれた。
こんな厄介な扉なのには、なにか理由があるはずだ。
斑島灯台は太陽光発電で電力が供給されていて、しかもセンサーが暗さを感知して自動で点灯する。つまり、それほど点検の必要がない。だったら、塩害を防ぐために内部の気密性を高めたほうがいいのだと私は分析した。
そばに近づくまでわからなかったが、黒々とした岩盤に建つ斑島灯台の外壁は、白いタイル張りだった。そのためか、高後埼(こうごさき)灯台とくらべて、いくぶん柔らかな表情をしている。斑島の北西部に建っているので、陽が傾けば白いタイルに夕焼けが映えてさぞ美しいにちがいない。
高さ十メートルほどの小さな灯台だけど、鉄梯子(てつばしご)をのぼっててっぺんに出たときの感動は格別だった。緑の草原と青い海のあわいにふわふわ浮かんでいるみたいだった。こう言ってよければ、夢みたいな光景にほとんど圧倒された。
同時に、野崎島で感じたのとはまたニュアンスのちがうディストピア感もあった。それは幸福な感覚だった。きっと人類が死滅したあとも、この場所はやっぱりこんなふうに美しいままなのだろう。やがて季節が移り変わり、草原が冬枯れしたころにもまた訪れてみたいという気にさせられる。
強い風が吹いていた。
灯台の上に立ち、なだらかにうねる草原や海を眺めながら、灯台擬人化作戦を発動する。あまり苦労もせず、斑島灯台はどことなくホールデン・コールフィールドっぽいなと思い至った。
お坊ちゃん学校を退学処分になったホールデンは、自意識過剰なぱっとしない十七歳の少年だ。妹のフィービーとの対話のなかで、彼は自分自身が本当になりたいものを吐露(とろ)する。それがこの本のタイトルにもなっている。ホールデンが本当になりたいもの、それはライ麦畑で遊ぶ子供たちの守護者だ。
広いライ麦畑で何千人もの子供たちが遊んでいる。そばには危険な崖があるのに、大人はひとりもいない。だから、自分が守ってやる。遊びに夢中になって崖から転げ落ちそうな子供がいれば、さっと飛び出していってちゃんと捕まえてやる。
「たしかにかなりへんてこだとは思うけど」とホールデンは妹に言う。「僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね」
灯台にはそれぞれにちゃんと個性と風格がある。斑島灯台のそれは繊細なナイーブさだ。傷つきやすさ、と言い換えてもいい。牧草地を渡る風に吹かれながら、私はひさしぶりに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が読みたくなった。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J.D.サリンジャー 村上春樹訳
