10代でハワイへ。「なんで英語が話せないの?」
――高校進学を期に、ご家族でハワイへ移住されたのですよね。
そうそう。母は、イタリア移民の子で。ネイティブの英語を話す親のもとで育ったわけではなかったから、母もアメリカで苦労してきた人なんです。そんな母が留学生としてアメリカにやってきた父と恋に落ちて、日本に嫁いできた。そのときに父と、「あなたの国で子どもは育てるけど、大学はアメリカに進学させる」って約束していたそうなんです。
ただ、中学生時点で私の英語のレベルが「This is a pen」とかそういうレベルだったから、「このままではアメリカの大学なんて無理だ」って思ったみたいで。予定より早くにアメリカに行くことになりました。
私自身、ガイジンだとか言われて大変でしたが、母も母でめちゃくちゃ大変だったと思うんですよね。今みたいに世界とつながれる時代でもなかったので、異国の地で孤独だったんじゃないかと思います。私としては地元徳島で自分の人生を満喫したいという気持ちもあったけど、母のメンタルケアを含めて引っ越すことになったんです。
――「This is a pen」しか話せない状態で、現地の学校に通うには相当な苦労があったのではないでしょうか。
もう、この顔じゃない? だから先生たちも「え、なんで英語話せないの?」みたいな感じなわけなんですよ。だから、毎回「すみません。私こんな顔をしているんですけど、英語はできなくて」と、説明することから始まる。徳島でも自分の説明ばかりしていたけれど、アメリカでも自分の説明をしないといけない。
ややこしいことに、日本では母が英語で話をしていたからヒアリングはまぁまぁできたし、音楽をやっていたからか、覚えた言葉の発音はいいんですよ。だから、先生たちには「聞き取れているのに書けないなんて」と、ただ頭が悪い子だと思われていたみたい。「何で作文が書けないの?」ってよく不思議がられてました。
――突然米国に引っ越したことで、カルチャーショックはありましたか?
徳島の学校は、変な発言をすると先生からチョークが飛んでくるようなTHE 昭和な環境だったから、アメリカの自由な雰囲気に本当にびっくりしちゃって。
ある日、教室の机が輪っかに並べられてたんです。それを見て最初は「みんな給食を食べた後に直さなかったんだ」と思ってたら、みんな普通な顔してそのまま席に座るんですね。そしたらさらにびっくりすることに先生が輪の中央に立って授業を始めるんですよ。先生に「そこ違うと思う」って意見する生徒が出てきたり。「うわー、こりゃ怒られるぞ」って思ってたのに、先生もその子をほめるもんだから、目の前で何が起こっているのかわからなくなりました。
帰ってから「アメリカってこうなの?」と母に訊いちゃいましたもん。何から何までもう一度「学び直す」感覚でしたね。
