ちなみに第一話で阿佐ヶ谷駅に降り立ち、ヒロトと対面する場面のセリフ「美大なんて、ただのフリーター製造機らしいですよ」の言い方や声の抑揚、目の動きは、若き日の宇多田ヒカルさんのインタビューの受け答え方にそっくりなのでぜひ配信で観返してほしい!

 突出した才能と、それゆえに周囲との間に壁を作ってしまう、内向的で不器用な天才性の共通点を、森さんが無意識のうちに表現しているからかもしれません。

 そんななつみが、ヒロトの“ゆるさ”という防波堤の中で、少しずつ心の鎧を脱ぎ捨て、マンガ家の夢に向かって一歩を踏み出す姿は、本作の見どころのひとつです。青春の再来を見ているようで、思わず胸が熱くなります。

「よもぎ」「ヒデキ」に見る、現代の若者のリアル

 さらに、現代社会のスピードに疲弊した働く大人たちを体現するのが、吉岡里帆さん演じる不動産会社勤務の立花よもぎと、吉村界人さん演じるヒロトの友人・野口ヒデキです。

 よもぎは、仕事一筋で勝ち気、会社ではエースで、常に完璧であろうとする現代女性の象徴。しかし、ヒロトの平屋という異空間に足を踏み入れたときに見せる、張りつめた緊張が緩む瞬間や、本音と建前との間で揺れる表情の機微を観ていると、たまらなく応援したくなります。きっと「自分もよもぎのように疲れているのかも」と共感してしまう存在だからでしょう。

 ちなみに、よもぎが働く不動産屋の上司、ほかの男性社員が出先に向かう際は「がんばってね!」っていうのに、よもぎにだけは「いってきます」に対して、目も見ず無反応。自分が友達だったらよもぎに「今すぐ転職しな!」と言ってあげたい。

 また、ヒロトの親友のヒデキを演じる吉村界人さんは、見栄っぱりでちょっと嘘つきで不器用ながらも、ヒロトのゆるい生き方に影響され、自分のペースを見つけようとする青年の葛藤を見事に表現しています。普段の明るさの裏にある葛藤は、阿佐ヶ谷という街の多様な若者像にリアリティを与えています。

 これらの個性的なキャスト陣が、それぞれの「生きづらさ」や「急ぎすぎる日常」を平屋に持ち込み、ヒロトのフィルターを通して再構築していくことで、本作は単なる癒やしドラマ以上の、多層的な「現代人の肖像」を描き出しているのです。

 そして、この物語に優しく寄り添い、視聴者を平屋の世界へといざなうのが、小林聡美さんのナレーション。彼女の静かで、時にユーモラスなトーンは、ドラマ全体を包み込む柔らかな空気そのもの。

 過剰な説明を排し、登場人物たちの心の動きや、阿佐ヶ谷の風景を淡々と綴るその語り口は、私たちが何を大切にして生きていくべきかを、静かに問いかけてきます。

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