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関係が断ち切れない相手はたとえ死んでいても実在する

 「恐山の禅僧」という、どこか神秘的なイメージとは裏腹に、南さんの話はどこまでも理論的、そして現実主義的だ。

「恐山にいらっしゃる方というのは、いわゆる観光目的を除けば、半分が死者に深い想いのある人。あとの半分は、実は生きている人との関係で悩んでいる人です。この場合、相手の生き死には関係ない。私に言わせれば、リアルとヴァーチャルの違いは、自分の意志でスイッチが切れるか、切れないかです。例え相手が死んでいても、自分の意志で関係が断ち切れない相手は、リアルに存在する人。心の中にいるとかいう甘い話ではなく、悩み続ける限り、その人にとって相手は現実に存在するんです」

 「死」すら超えてゆく人間の情念のままならなさに言葉を失うが、南さんは「死を意識することは、生きることにおいて必要なことだ」と話す。

死を意識することは、生を自覚すること

「人はみな、自分もいつかは死ぬと頭ではわかっていますが、それがいつかはわからないから普段は考えない。そうするといつのまにか死という意識自体が消えて、無いことになっている。ところが親しい人が死んだり、たくさん人が死ぬような災害が起こったりすると、無いことになっていた『死』が突然現れるから『明日は我が身だ』と慌てる。

 東日本大震災やコロナ禍の際には多くの人が死を意識したのではないでしょうか。あの時は、死の恐怖というよりは、ずっと続くと思っていた日常が一瞬にして崩れたことで恐怖を感じた人が多かったと思います。世の中に絶対変わらないもの、確かなものはないんだ――と、仏教でいう『諸行無常』を感じたわけです。今、日本人で自分の足元が絶対に崩れないと信じている人はいないでしょう。

 でも、死とは生にかかる重力で、そもそも生きる前提として常に足元にあるもの。そうやって、死を意識することで生きることに自覚的になれるんです」

 それでも生きるのがつらいという人には、仏教の「一切皆苦」という言葉がヒントになる。

「仏教では、そもそも人生はつらく、思い通りにはならないものだと断じています。人生のつらさが本来解決できないものだとすれば、それとうまく付き合えるように、つらさを飼い慣らせばいい。仏教はそういう生き方のテクニックです。目の前の苦しさを解決できなければ、やり過ごす工夫があり得るのです」

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南直哉(みなみ・じきさい)

恐山菩提寺院代、霊泉寺住職。1984年出家得度。曹洞宗大本山・永平寺での修行生活を経て、2005年より恐山へ。小林秀雄賞受賞の『超越と実存』(新潮社)を始め、『禅僧が教える心がラクになる生き方』(アスコム)、『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮社)など著書多数。

恐山菩提寺

所在地 青森県むつ市田名部宇曽利山3-2
電話番号 0175-22-3825
開門時間 6:00~18:00 ※11~4月は閉山
入山料 700円
アクセス JR大湊駅より車で30分、JR下北駅より恐山行き直通バスで43分


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2025.08.12(火)
文=井口啓子
写真=平松市聖

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※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

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