この記事の連載
中野信子トークイベント【前篇】
中野信子トークイベント【後篇】
悩みを切るか、悩んでいる人を抱きしめるか

――中野さんは脳科学だけでなく、心理学もご専門ですね。
中野 私は、カウンセリングはロジャーズ流を旨としています。ロジャーズ流というのは、まず傾聴する。「こういうふうに思っていらっしゃるんですね」と、相手の言うことを否定しない。日本の方は、否定されたくない、自分を認めてほしい気持ちが強い。だから私はご相談にはロジャーズ流を基本としてお答えしてきました。
かつての人生相談、例えばみのもんたさんなどは「そんな男とは別れなさい!」と言って、よく相談者が怒られていましたよね。実は回答者に切りまくってほしいと思っている人が一定数いらっしゃって、そういう方にはロジャーズ流は向きません。……そういう方向けに、私が相談者を切ってみるという別仕立てのご相談をやってみてもいいかも?
――お悩みを厳しく切っていく?
中野 なぜそんなことを考えるのかというと、先日、ベネチア・ビエンナーレ国際建築展に行きまして、パラッツォ・グラッシという16世紀の建築は天井が美しかったので、それを写そうと、下から煽った自撮り写真をインスタに上げたのです。以前から「中野さん、僕のことを踏んでください」というメッセージが定期的に来ていたので、一括でお返事するつもりでアップロードしたら、Yahoo!ニュースになっちゃったんです(笑)。
――(会場笑い)
中野 そういう需要も一部あるかもしれませんが、『悩脳と生きる』は、踏んでほしい人ではなく、抱きしめてほしい人向けの本です。
人間は事実より嘘を好む生きもの

――寄り添う姿勢と言えば、悩んでいる人を否定しない。「つい嘘をついてしまう」という44歳の公務員の女性のお悩みへの回答は驚きました。
中野 印象に残るご相談でしたね。私たちは初対面の人とお話をするとき、10分間の間に平均3回嘘をつくということが知られています。例えば、自分の経歴についてよく見せようとして盛ったり、逆に省いたりしてしまう。
ただ、この相談者の方は罪のない嘘をつくんですね。「空港で香取慎吾さんを見かけた」という作り話をしたり、みんなをちょっと楽しませる嘘なんです。
ところで、みなさまは昨年、小説や漫画、映画といった「フィクション」に支出した額と、学術誌、ノンフィクションやニュースといった「事実」に支出した額とでは、どちらが多かったですか。おそらく、フィクションに使うお金の額の方が大きかったのではないでしょうか。
私たちは、どちらかといえば嘘のほうが好きで、事実はそんなに好きじゃない。嘘のほうが面白くてみんなの気持ちを惹く。そういう才能があるなら、なぜ公務員という、嘘が許されない仕事に就いたのか? エンタメの世界に進めば、超大作を作ったかもしれないのに、もったいない。今からでも遅くはないのではないかというお答えをさせていただきました。
2025.08.09(土)
文=小峰敦子
写真=平松市聖