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「らめ活」に「悲ロ活」……生活から生まれた独特の“提案”

――「『あきらめること』とは、『あきらかにすること』」と、現実を捉えた上で工夫して生活する「あきらめ活動=らめ活」や、退屈な日常をドラマチックに変えたいときには、悲劇のヒロインになって妄想する「悲劇のヒロイン活動=悲ロ活」など、生活にすぐ生かせそうな提案もたくさん登場します。書くのに葛藤したテーマはありますか?
どれだろう……? 連載を続けていく中で、だんだん深い話を書けるようになった感じはありますね。「永遠を解く力」など、倒れて入院した時の話は、いつかは書くつもりでしたが、今ではないなとしばらく寝かせていました。
連載開始から半年くらい経って、重いテーマを立て続けに書いた時期がありました。出来事が起きた直後は自分でも深刻に捉えすぎて、そのまま書いても読む人が辛くなってしまうので距離を置く必要があったんですよね。
毎回、結末を考えずに書き始めるので、意外な方向に話が流れていくこともあって。
――何かを降ろしながら書いているということですか?
降ろしている、という感じでもないのですが(笑)、書き進めるうちに、こんなこと考えていたんや、とか、自分でも想像しないところに連れていかれるので、書くって面白いなあと思いました。

――知らなかった自分に出会うこともありましたか?
その連続でした。やっぱり自分を客観的に見つめないと書けませんし、でも、見たくない部分を見ることにもなるので、しんどい作業でもあるんですよね。
「悲ロ活のすすめ」の章で「悲劇のヒロイン活動」について書きながら、なぜ自分はそういう妄想をするようになったのかを考えていくうちに、9歳の時に観たミュージカル『キャッツ』でグリザベラの歌う『メモリー』に号泣したことを思い出しました。当時なぜ老いた元娼婦猫に感情移入してしまったのか理由がわからなかったのですが、昔私はアトピー性皮膚炎だったことがあり、それがトラウマに繋がっていたことに気づいたんです。書き始めには、アトピーの話が出てくるなんて思いもしなかったのに。
自分の内面の深い部分をいかに正直に伝えられるか、そこにどれだけユーモアを乗せられるか、毎回悩みましたね。嘘はついていませんが、脚色はしています(笑)。
2025.08.04(月)
文=黒瀬朋子
写真=平松市聖