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黒柳徹子インタビュー 前篇
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今年5月、黒柳徹子さんの独自の審美眼によって集められた膨大なコレクションを一冊の本にまとめた「黒柳徹子ビジュアル大図鑑」が刊行された。タイミングを同じくして、横浜のそごう美術館で、「GLAM-黒柳徹子、時代を超えるスタイル-」展を開催(6月29日で終了)。7月には軽井沢に黒柳徹子ミュージアムがオープンしたばかり。
「私が美しいと感じたものを、みなさまに披露することで、一緒に喜んでもらえたら」という、「みんな一緒」の精神が、今回のコレクション公開に繋がった。黒柳さんのモノへの愛に触れるインタビュー。
» 【続きを読む】愛情のある人のところに、本物は集まる。ミュージアム・ピース級の中国宮廷服が黒柳さんの元にやってきた経緯とは?
ニューヨーク留学時代に、フォーマル服の大切さを痛感しました

38歳、初の一人暮らしはニューヨーク!
黒柳徹子さんが初めて一人暮らしをしたのは、38歳のときだった。居住先は、ニューヨーク。帝国劇場で上演されていた「スカーレット」というミュージカルに出演したことがきっかけで、作曲家のハロルド・ロームさんとその夫人のフローレンスさんと出会い、「ニューヨークにいらっしゃい!」と誘われたのだ。
黒柳さんは週に3回、プロの俳優が通うメリー・ターサイ演劇スタジオに通いながら、観光、観劇、散歩に読書、頼まれたエッセイを書いてはすぐ郵便で送るなど、多忙な毎日を送っていた。でも、演劇学校での勉強の次に多くの時間を割いたのは、1970年代のニューヨークに集まった、刺激的な文化人たちとの交流だった。そのとき、黒柳さんは着物を含めた「ファッションの持つ威力」を目の当たりにすることになった。
「ニューヨークには、18時から20時ぐらいの間に、いろんな家に招かれてお酒を飲みながら歓談する『カクテル』と呼ばれる風習みたいなものがあって、それに毎日のようにお呼ばれしていました。フローレンスさんに、『今日はちょっとオシャレしてきて』と言われたときは、母に持たされた振袖を着ていきました。古道具屋さんで母が見つけた、結婚式のお色直し用の着物です。贅沢をするお金のなかった私にとって、その着物はまさに“一張羅”でした。
この着物を着てイースターパレードに出かけたときは、『一緒に写真を撮りたい!』と、私の周りに人が殺到して、ちょっとしたパニックになったこともあります。翌日のニューヨークの新聞に、イースターパレードの印象的な一コマとして、着物を着た私の写真がデカデカと掲載されていたのには驚きました(笑)」
2025.07.10(木)
文=菊地陽子
写真提供=講談社