「楽しいトークと、パワフルな歌声に会場内は大きな歓声に包まれました」(PTA会報)

 柳瀬医院の跡地でライオンの石像を見つけた山島孝仁(たかひと)さん(33)は「アンパンマンの作者という偉大な人が目の前で歌ってくれて、びっくりしたのを覚えています。当時は子供だったので、愉快なおじいちゃんだなと思いました」と語る。

 徳久衛さんは「版権が厳しいアンパンマンの着ぐるみも連れてきてくれました。照明など何から何まで手配してくれて、大変な費用がかかったと思います。でも、やなせ先生は人が喜ぶことを徹底的にやり遂げようという強い気持ちを持っていました」と話す。

受け継がれたやなせさんが残したもの

 卒業した20人は、校区内の中学校に進学する人ばかりではなかった。バラバラになり、部活動なども忙しくなっていく。高校、大学、就職と経るうちに、やなせさんとの思い出も薄れていく。

 だが、やなせさんの残したものは、現在の後免野田小学校(児童数185人)に受け継がれていた。

 今春の異動で転出した川村一弘前校長(56)に昨年度取材した内容になるが、川村前校長が3年間の勤務で取り組んだ内容についてお知らせしておきたい。

 小学校の校内には「やなせたかしコーナー」が設けられていて、やなせさんが描いた太陽と手のひらの絵や色紙などが貼り出されている。

「人生のはじまりの時 この学校で学んだことは 忘れない こんないい学校は めったにない」

「ドングリのみが 枝をはなれるとき ドングリはさけんだ ぼくはぼんやり 落ちはしない かならず地面につきささり 何百年も強く生きて 森いちばんの 大木になるぞ」

「勇気がぼくに ささやいた 涙こぼすな がんばれと」

 色紙には児童へのメッセージになる文言が多い。

 川村前校長は「中庭にある『やなせライオン』は児童にとって『あるのが当たり前』の存在です。体育館のピアノについては、集会で話をすることもありました。やなせさんが自分達のために残してくれたのだと、子供達はよく知っています」と話す。

2025.07.16(水)
文=葉上太郎