小学校ではGちゃん、Nくんを「壁画」にして校舍に貼り出すことにした。大きなアルミ複合板にインクジェットでプリントし、玄関の2階から3階にかけて掲げたのである。

 作業にはやなせさんに手紙を出したクラスに加わってもらった。6年に進級していた20人は、「Gomen Noda Elementary School」というロゴを1文字ずつシールで貼りつけた。

「何かの巡り合わせ」のようだった

 完成した「壁画」は小学校の近くを高架で通る第三セクター・土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」からよく見えた。同線は前年に開業して、当時の全20駅にそれぞれやなせさんがキャラクターを描いていた。故郷との関わりが相次いでできたことに、やなせさんは「何かの巡り合わせ」と考えていたようだ。

 そして後免野田小学校を訪れた。2003年11月14日、84歳。1931(昭和6)年に卒業してから実に72年の歳月が経過していた。

 体育館に集まった児童は歌で歓迎し、卒業生や保護者が「ハハハ3きょうだい」の着ぐるみで踊った。「高知県歯の健康キャラクター」としてやなせさんが描いた「デンちゃん」「ハハハのハーちゃん」「歯をまもる君」だ。やなせさんは「おっ、3きょうだいがいる」と嬉しそうだった。

 交流の火付け役になった6年生の20人とは教室で一緒に給食を食べた。

 やなせさんと隣の席で食べた徳久文彬(とくひさ・ふみあき)さん(33)は「パンはいっぱいあるのに、なぜアンパンマンはあんパンなのですか」と質問した。

「パンは洋で、あんは和。あんパンは日本と西洋の『いいとこ取り』をしたんだよ。だからアンパンマンにしたんだ」と、やなせさんは優しく教えてくれた。

 当時の6年生の文章には、楽しかった一日のことが記されている。

「来るのがまちどおしかったです。最初見たとき、『全然八十四歳に見えんでね』と友達とはなしていました。とてもおしゃれな格好をして、にあっていました」

「歌をうたったりして、すごく陽気な感じで明るくて、アンパンマンみたいな人だなあと思いました」

2025.07.16(水)
文=葉上太郎