「やなせさんの小学校時代の話をきいてみて、私たちと同じことをしていたんだなあと思いました」
「あく手ができて、アンパンマンはこの手から生まれると思ったら感激しました」
人を喜ばせるためには努力を惜しまない“アンパンマン行動”
その後もやなせさんと子供達の交流は続く。
文彬さんの父・徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)が語る。
「やなせさんは『せっかくきっかけを作ってくれたので、子供達のために何か欲しいものがあったら寄贈します』と小学校に伝えました。学校側は『全教室にエアコンが欲しい』と言ったようです。気持ちは分かりますが、広い教室には大きなエアコンが必要ですし、電気代やメンテナンスの費用もかかります。『それはちょっと』という話になって、やなせ先生が『体育館にピアノはありますか』と切り出したそうです」
これだけでもすごい話なのに、やなせさんは想像を上回る行動に出る。人を喜ばせるためには努力を惜しまない“アンパンマン行動”だ。
「普通なら楽器店に注文するでしょう。ところが、やなせ先生はピアニストを連れて、静岡県のピアノ工場を訪れました。そこには完成したグランドピアノが何台もありました。ピアニストに弾いてもらい、一番いいのを選んで小学校に寄贈したのです」と徳久さんが語る。
そのピアノが後免野田小学校に届き、体育館でお披露目の「アンパンマンコンサート」を開くことになった。2005年3月7日、交流のきっかけを作った児童は卒業式を目の前に控えていた。
やなせさんは、贈ったピアノにアンパンマンの絵などをサインした。

中庭では、移設されたライオンの石像「やなせライオン」の経緯を記した記念碑を、地元の「国際ソロプチミスト南国」が建てて除幕式を行った。
コンサート会場となった体育館には保護者も含めて約500人が詰めかけた。スタッフとして働いたのはPTAや中学生だ。
衣装に身を包んだやなせさんは、歌手2人を伴って登場し、自作の「ノスタル爺さん」「生姜(しょうが)ない」など約20曲を披露した。やなせさんは前年、歌手としてCDデビューしていたのである。作詩は自身、作曲のミッシェル・カマはやなせさんのペンネームだ。
2025.07.16(水)
文=葉上太郎