そんな石像を、母校の後免野田小学校の5年生が見つけ、クラスで手紙を書いてくれたのである。柳瀬医院に石像が運び込まれてきた時と同じ年代だったのかもしれない。

「やなせ先生は嬉しかったんだと思います。故郷の子供達が一生懸命に書いた手紙が届いたのですから」と徳久さんは語る。

 やなせさんは「ライオンに久しぶりに対面したのですが、なつかしかったですね。涙がこぼれました」と後免野田小学校のPTA会報に書いた。

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 子供達の手紙が届いてから1年後の2003年8月、やなせさんはライオンの石像を後免野田小学校へ寄贈した。

石像のライオンが持っていた“不思議な力”

 自ら「やなせライオン」と名づけて、自筆のプレートを張りつけた台座も作られた。設置されたのは小学校の中庭だ。

 その作業を行った石材店主は「『ん!? へんてこりんなライオンだなぁ』これが初めて見た時の率直な感想である。商売柄(家業は石屋)、この類の石像彫刻は、大概が威厳のある狛犬が定石だという先入観からか、その何とも優しそうな表情とのギャップに、つい、そんな感想を持ったのだろう」とPTA会報に書いた。「何も無い空き地の片隅で雑草とすっかり同化してしまい、一人淋しそうにうなだれて見えたライオン」だったが、中庭の台座に据えつけると「誇らしげに凛々(りり)しく」見えたとも記した。

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 やなせさんは「ライオンが自分の母校の校庭に置かれることになったのは単なる偶然ではなくひとつの運命のように思います」とPTA会報に寄稿している。

 事実、ライオンの石像は不思議な力を持っていた。

 最晩年のやなせさんを、長いこと縁が切れていた南国市と結びつける絆になっていく。

 それは、絵本の『やさしいライオン』が命を燃やすようにして故郷の「育ての母」のもとへ駆けつける物語と少し似ているような気がする。

撮影 葉上太郎

「パンはいっぱいあるのに、なぜアンパンマンはあんパンなのですか」やなせたかしさんが子供たちの問いに答えた“納得の理由”〉へ続く

2025.07.15(火)
文=葉上太郎