ただ、3頭の中でも最も重要だったのは石像だったのではないか。後免野田小学校の校長室には、やなせさんの直筆の文章が入れられた額がある。「このライオンがすべての原点でぼくの人生の出発点、アンパンマンの生みの親の親ということになります」と書かれている。

 暢さんと結婚するまでのやなせさんは、決して幸せとは言えない家庭環境にあった。父が死に、母は再婚し、育ての父たる伯父も亡くなる。最後は弟まで戦死してしまった。自身も戦地から復員して来ると、戦前に正しいとされていたことが、戦後に引っくり返されて、正義すら逆転していた。

 そうした状況にあっても「優しさ」は不変の正義で、そうした気持ちを持ち続けることこそ強さと考えたのか。アンパンマンに通じる哲学は、悲しくも優しいライオンの石像こそ原点なのか。

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「最終的にアンパンマンにたどり着くのは必然だった」

 後にやなせさんと力を合わせて後免町の地域起こしに走り回る徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)は、「ライオンは百獣の王です。強さの象徴だけど優しい。外見は強そうに見えても、内面はそうではないこともある。やなせ先生はそこに思いを馳せたのでしょう。人間は悲しむこと、悩むこと、考えることがあって初めてたどりつける境地があります。やなせ先生が最終的にアンパンマンにたどり着くのは必然だったのです」と話す。

 やなせさんの人生や作品の重要なキーワードとなっている「優しさ」を体現するような石像のライオンだが、居場所をなくして柳瀬医院の庭に運び込まれた後も、寂しい環境に置かれたようだ。

 やなせさんは『高知新聞』に寄せた連載『オイドル絵っせい』に次のように書いた。

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 茫洋(ぼうよう)と年が流れ、弟は戦死、この家に住んだ柳瀬家の人々も次々にこの世を去り、無人の柳瀬医院は廃屋のように荒れ果てた。
 

 このままでは町に迷惑をかけるので解体して更地にすることを業者に依頼した。
 

 工事が終わって行ってみると、きれいさっぱり何もなくなっていた。
 

 しかし石のライオンは残っていた。今見ると信じられないほど下手な彫刻だった。
 

 ライオンはなんだか恥ずかしそうだった。泣きべそをかいているようにみえた。

2025.07.15(火)
文=葉上太郎