急に母が亡くなり、生活が一変した中3の春

 中学三年生の春に母が亡くなったので、母がやっていた家事のほとんどを私がやらなければいけない状況になった。それまで、台所に立ったことはほとんどなく、食卓につけばご飯が出てくるし、洗濯物を畳んだことすらない。いつも家でごろごろしていて、毎日なんの疑いもなく、パリッとアイロンの効いたシャツを着て学校に通っていた。

 ところが、そんな当たり前の日常が、ある日を境に崩れてしまった。夕ご飯の準備、部活の洗濯物、制服のアイロンがけ。部活は最後の夏の大会もあるし、その先には高校受験も控えていた。当然、試合には負け、成績はガクッと落ちた。それでも、慣れない家事はいつのまにかなんでも器用にこなせるようになって、気づけばその生活のほうが私の日常になった。

 そして怪我をして、ひとりでは何もできないことを思い知った。自分は強いと思っていたけれど、本当は全然強くなくて、社会のなかでは非力な存在であること。いざとなったら嫌いな父親でも頼らざるを得ないということ。お金も、なにもかも、子ども一人では決められない。私はそれが悔しかった。

 三年後、父は病に倒れた。それまでの間に父と会話をした記憶はほとんどない。だらしなく酒を飲む姿を軽蔑していたからだ。

 私の怪我を見て、父が咄嗟に動き、病院に連れて行ったことに驚いた。慌てる父の顔を初めて見たし、なるほど、娘を大切に思う気持ちはあるんだなと思った。それでも私は父と話すことはなかった。

 台所で洗い物をしていると「怪我をしないように気をつけなくては」と思う。

 そんなことは、誰でも当たり前に考えることなのだけど、スポンジに洗剤をつけて泡立てていると、実家のことばかり考える。泡だらけの手で、ギュッギュと食器を洗いながら、自分の歩いてきた道を考える。

 実家を更地にして、土地を手放したら、私はきっと、二度と故郷には帰らないだろう。母を追い込み、父が病に倒れ、兄を孤独にした大嫌いな故郷。でもなかなか実家の整理が進まないのは、どこかで故郷と繋がっていたいと考えているのかもしれない。家族と過ごしたこと、友だちと笑い合ったり、好きな男の子を目で追ったり、あの場所で過ごした日常は、毎日がどんよりと曇っていたわけではない。片付けてしまったら、青空の下で、楽しくて大笑いをした思い出さえもなくなってしまう気がする。

 とはいえ、では「私が死んだらどうなるのだろう」と思う。いいトシをして、いつまでも感傷的に、甘えてはいられない。誰かに迷惑をかけるわけにはいかない。寂しいだのなんだのと言っている場合ではないのだ。

 気が重いけれど、そろそろ本格的にやらないといけない。

 夏は暑いから、涼しくなってきたら家の整理を再開しようと思う。

野口理恵(のぐち・りえ)

1981年埼玉県熊谷市生まれ。出版社rn press代表。文芸誌「USO」編集長。15年の出版社勤務を経て2018年に独立。担当した書籍は今日マチ子「わたしの#stayhome日記」シリーズ、北村みなみ『グッバイ・ハロー・ワールド』、松橋裕一郎(少年アヤ)『わたくしがYES』、『私が私らしく死ぬために 自分のお葬式ハンドブック』などrn pressの刊行物すべて。書籍を制作する傍らで、文筆活動を行う。初のエッセイ集『生きる力が湧いてくる』(百万年書房)が話題に。健康体。
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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。

(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)

2025.07.04(金)
文=野口理恵