味わいぶかい「マッド・ピエロ」
ここでまたモダン・ヴィンテージ・フューチャー・オーケストラのみの演奏で細野作品の「マッド・ピエロ」。この曲はイエロー・マジック・チルドレンのイベントの演奏してほしい曲リクエストで1位になった記念の曲。あのときの網守将平のアープ・オデッセイでのソロ演奏はすばらしかったが、あれから6年。その間に網守は大貫妙子バンドの欠かせない一員となり、そこで坂本龍一との共演もあった。年月の経過と経験によって、より味わいぶかい「マッド・ピエロ」になったように聴こえた。

最年少の原口沙輔と松武秀樹が演奏に参加した“あの名曲”
坂本龍一とテイ・トウワに大きな影響を受けたというトラックメイカー、作詞作曲家の原口沙輔はこの日の最年少の22歳。現役のYMOを目の当たりにしていない世代ならではな自由さ、伸びやかさを持ってYMOの代表曲である高橋作品「ライディーン」の演奏に参加した。アルバム『テクノドン』で使用されたウィリアム・バロウズの声などさまざまなYMO関連のサンプリングを駆使し、そこはやはりオープニングのDJセットでのテイ・トウワのプレイと共通性を感じさせるものだった。

さらに「ビハインド・ザ・マスク」では、開幕当初からステージ上で圧倒的な存在感を放っていた2台の巨大なモジュラー・シンセサイザー、通称タンスのモーグIIICとイーミュの前に松武秀樹が立った。
この2台のタンスとともに2度のワールド・ツアーを始め、レコーディング、ライヴとYMOのサウンドを支えた伝説の登場だ。

原口が奏でる現代的リモデルな「ビハインド・ザ・マスク」から、YMOが鳴らしていたまさにあの音のオリジナルに忠実な「ビハインド・ザ・マスク」の連なりは順番こそ逆だが世代を超えたYMOの音楽、サウンドの継承を象徴するものだった。この共演は松武秀樹本人の希望で、1970年代から今日までシンセサイザー・サウンド、コンピューター・プログラミングの啓発を行い続けてきた(このコンサートの前後も京都でシンセサイザー教室を開催)松武秀樹らしい演出。YMOでは坂本龍一が担当していたヴォコーダーによる歌も松武秀樹が熱唱。岡村靖幸に引けを取らないダンスも披露して会場を沸かせた。
2025.06.27(金)
文=吉村栄一