嫁姑問題だけは、昭和も令和も変わらない

 昭和の人生相談の中身は、ちょっと「ネチョー」っとしていましたね。40年前のほうが今よりネチョリンコ。例えば会社でも、今はセクハラやモラハラを訴えられますけど、昔はそんな主張はできなかったわけで。もう殴られようが何されようが、みんな耐え忍ぶしかなかった。まあ言うたら湿度の高い、辛い相談が多かったです。今の相談はカラッとしてる。「こんなん悩みのうちに入ってないわ」と内心思うことも多いです。

 ただ、嫁と姑の関係だけは変わってないような気がするんです。嫁姑は永遠のテーマ。だって図式は一緒ですもん。大事に育てた息子が選んだ嫁のことを、姑はよう受け入れられません。そこに娘もいて小姑となった日には、さらにややこしい。どんなに出来が悪い娘でも、母親からしたら嫁より上。令和の姑であろうが昭和の姑であろうが、そこは一緒なんですよ。

 人生相談をしてくる人は、すでに答えを持っているんです。で、こっちがそれと違う答えを言うたら、ムカつく。私、「この辺言ってほしい」というのはわかりますわ。だって30代から人生相談やらせていただいているので。

 だから私の役割は、風通しよくしてあげることなんです。その人の悩みにバチッと答えることより、悩みを整理してスッキリさせてあげる。私がなんでそれができるか言うたら、相談者と同じところにおるから、気持ちがわかるからなんですよ。

 あなたの出来が悪いんじゃない。どんな嫁も一緒。美醜に差はあれど大体根性は一緒。で、姑の根性も大体一緒。自分の生んだ息子は日本一、大錯覚。嫁が来るまではそれほどでもないのに、嫁が来たらイキる。「うちは毎年七草粥つくる」とか「トマトはくり抜いて、そこへポテトサラダ詰め込む」とか、全部嘘やもんね。それこそが嫁の上を行きたいという姑根性ですよ。でも、はよわからないかんのよ。息子はその嫁が好きで結婚したわけやからね。すぐに負けなあかん。はよ白旗出せよ思うのに、なかなか出さない。そのねちっこい粘着質は昭和も令和も変わってないような気がしますわ。

 私も姑をやってはいるんだけど、東京にいる息子夫婦が大阪に来る時はホテルで会います。家には入れない。だって家には危険が潜んでいるから。せっかく綺麗なお嫁さんが息子と結婚してくれたのに、それを醜くするのは姑なんです。嫁は夫の実家に来たらあかんねん。私のテリトリーに来たら、脱いだ靴を向こう側に揃えへんのを見て、文句つけたくなってしまうかもわからない。だから息子たちが来る時はホテルに部屋を取って、レストランで美味しいものを食べさせて、お小遣いあげて「ありがとう、それじゃあね」って言って、私は帰るんです。

 いい姑ぶってるわけじゃないの。こっちも鬼ババになるのが嫌なの。私が嫁ぐ前、主人のお母さんのこと天使や思うてましたもん。3日で悪魔になりました。母親ってそういうポジションなんですよ。そういうお面をかぶっちゃう、姑っていう鬼の面をね。隣のおばちゃんの時が一番いいねん。これはもう方程式、大阪も東京も広島もないです。どこもみんな一緒。他人のおばちゃんを「お母さん」って呼び出した途端変わる、向こうも「恵美子さん」って言い出したら変わる。

2025.06.22(日)
文=西澤千央
写真=文藝春秋

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