愛する恋人を突然失い、しかもその悲しみを誰にも共有できないとしたら──。“秘密”とともに残された主人公の1日を描いたアイスランド映画『突然、君がいなくなって』。

 第77回カンヌ国際映画祭ある視点部門のオープニング作品にも選出された本作を生み出したルーナ・ルーナソン監督にインタビュー。喜びと悲しみ、いらだち、葛藤……。若者の複雑な感情を、美しいアイスランドの自然と、心に響く音楽に乗せて描いた本作への思いを聞いた。

ウナを演じたエリーン・ハットル
ウナを演じたエリーン・ハットル

喪失と再生を体験から描く

──喪失と再生という2つの大きなテーマを描いた本作のアイデアはどのように着想されたのですか?

ルーナ・ルーナソン監督(以下、ルーナソン監督) 具体的には言えませんが、私の映画はすべて直接的、あるいは間接的な体験に基づいています。

 本作では喪失感を起点に、若者たちに湧き起こる仲間感や孤独、上下関係、悲しみなど、さまざまな感情を描き出しました。

 私たちは映画や物語において、そして私たちの人生においてもしばしば、1本のラインのように考えてしまいがちです。でも物語も人生も、そんなに単純なものではありません。「何かが終わって何かが始まる」と特定することは難しいし、喪失と再生も反対のようですが、つながってもいる。

 そのなかで、「死」というものは、確かにほかの何かを呼び起こす要素になっていると考え、そこからストーリーを広げていきました。

“夕陽から夕陽まで”の時間枠に物語を収める

──物語の舞台をたった1日にしたのはなぜですか?

ルーナソン監督 本作を夕暮れのシーンから始めて、翌日の夕暮れのシーンで終わらせたかったからです。そこには、映画を観てくれる観客に、主人公・ウナと、彼女を取り巻く時間を感じてほしいという思いがありました。

 ウナの世代の若者たちの多くは、自分たちには限界がない、と思っています。空も飛べるし、たとえ壁にぶつかったとしても、簡単に通り抜けられると思っている。でも、仲間の死を体験し、はじめて壁の高さを知り、自分たちの無力さを知るのです。

 映画や舞台では、こうした「友を失う」という悲しみの物語は、長い時間をかけて描かれることが多いように思います。けれど、人生には最も幸せな日もあれば、最悪な日もある。そして、そんな幸せと最悪というまったく逆の感情を、1日の間に味わうこともあります。

 そうした現実味のある感覚をとらえるのに、“夕陽から夕陽まで”の時間枠の中に収めたいと考えたのです。

夕陽を眺めるウナ(右)とディッディ
夕陽を眺めるウナ(右)とディッディ

2025.06.23(月)
文=相澤洋美