社会人として無理する自分を〈あっちのけんと〉、本来の自分を〈こっちのけんと〉と表現することからはじまったアーティスト人生。“紅白後の2カ月の休み”を経て、復帰した彼が明かす現在地。
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コロナ禍のおかげで罪悪感がなくなった

ひとつずつ自分の乗りこなし方を覚えていく日々。そんな状況でもいくつかの幸運があった。会社を休職したタイミングで彼は、当時の恋人、現在の妻と同棲を始めたという。
「社会人2年目を頑張ろうと思って、僕の会社の近くに物件を借りたんです。そしたら同棲開始2日目に僕が休職して、彼女からすると単に仕事場が遠くなっただけ。パートナーとしては最悪ですよね。同棲を始めたら、僕は家で泣きわめきながら寝ているだけですから(笑)。でも救いになったのは、彼女が僕の障害のことを気にすることもなく『家にいてくれて嬉しい』と言ってくれたこと。彼女が許してくれるならいいかって気持ちが楽になりました」
彼の休職は、コロナ禍のはじまりと重なっていた。
「同期とか先輩がみんな頑張っている時に自分が休むということに、最初は罪悪感があったんです。会社携帯には先輩からの優しい言葉と絵文字が並んだメッセージが届くし。でも休み始めて2、3週間経ったらみんなステイホーム。自分はちょっと早めに休んだだけだって思ったら、楽になりました」
暗黒と暴走を繰り返す日々を救ってくれたのは音楽だった。大学時代は、全国優勝を果たすほどのアカペラサークルに所属していた。社会人になってから音楽活動とは距離を置いていたが、どうしても歌わなければならないイベントがあった。
「3カ月くらい、うつでなんにもできていなかったタイミングで父親の還暦パーティがあったんです。そこで大学時代の仲間と歌うことになっていて、行かなければ父の顔に泥を塗ることになる。それだけはダメだと思って、2日間くらい眠れていなかったんですけど、なんとか歌ったんです。そうしたら、観ていた人がすごく嬉しそうで、幸せそうで、なかには涙を流している人もいた。僕もめちゃくちゃ楽しくて、ああ、これだったんだ、音楽だったんだって。そこから鬼のように音楽にのめり込んでいくことになりました」
そこから始まったのが、YouTubeでの“1人アカペラシンガー”の活動。躁状態の時は、まさに鬼のように映像を作り続けていたという。
「アカペラをひとりでやろうとすると、普通なら1週間くらいかかるんです。でも躁状態の僕は、全パートを耳で聴いて覚えて、それを7人分くらい歌ってミックスして、さらに映像を撮影して編集するという作業を1日でやっちゃう。しかもそんな映像を週3本とかアップするわけです。完全にバグっていて、睡眠を忘れている感じでした」
そんな彼に目をつけたのが、現在彼が所属するレーベル「blowout」の代表を務める片山彩夏さんだった。大学時代の先輩でもある彼女は、彼が障害で苦しみながら音楽活動を続けていることをまったく知らなかったという。
「会社から音楽レーベルを立ち上げるぞと言われたんですけど、まったくツテがなくて。いろいろ調べていたら、後輩がYouTubeで活動していた。大学時代、仲が良かったわけではなく、ほとんど話したこともなかったんですけど(笑)、歌がうまいことは記憶に残っていた。コンスタントに映像を上げ続けているということはプロに興味あるのかな、というくらいの軽い気持ちで声をかけたんです」(片山さん)
そのころの彼は、自宅療養を続けながらアカペラ人脈などを通して依頼される映像編集で生活の糧を得ていた。
「仕事してお金もらったら、それがなくなるまで何もしない。その繰り返しでした。でも休職してそのまま会社をやめて2年。そろそろなんとかしなければと思っていた時期でした。再就職とか父の手伝いとか次の道を考えてる時に先輩に声をかけてもらって、じゃあ、やってみようかなと」
2025.06.21(土)
文=川上康介
写真=平松市聖
CREA 2025年夏号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。