もう一つ、印象的だったシマウマのエピソード

 シマウマといえばもう一つ、アフリカでライオンがシマウマに嚙みついたのを見たことがあります。シマウマの目がすごかった。嚙みつかれた直後は目を見張っているのですが、その目はどちらかというと痛みに苦しんでいるというよりも、「恍惚」の表情に見えたのです。

 もしかしたら、動物は死ぬときに、痛みを上手く気持ちよさに変換させているのではないか、とさえ思いました。ドーパミンのような、脳が快くなる物質が大量に出て、痛みや苦しみを覆い隠してしまうのかもしれません。想像が過ぎますかね?

 「痛み」は、何かを忌避するために必要なものです。死にゆく動物にとっては、痛みを感じる意味がないから、きっと脳が「痛み」を変換させて「恍惚」の状態にしているのではないかとさえ思えます。

 認知症患者の初期症状で、本人の表情や言動に多幸感が見られるのは、ドーパミンバランスや感情処理のメカニズムに変化が起きていることと、短期記憶の保持が難しくなり、ネガティヴなことを覚えないからだと言われていますが、これも「老いや死への恐怖」を忌避するための脳のプログラムではないのかと、つい考えてしまいます。


人間中心に考えるのはやめたほうがいい

 私はテレビや新聞に出ている動物関係の記事を見ると、いつもブツブツ言っているようです。「ようです」というのは、自覚が無いからで、妻によく指摘されるのです。

 何が私をそんなにイライラさせるのか。

 例えば、こんな記事です。

「昨日○時頃、国道○号線で、○△さんが運転するトラックと、体長160cmのクマが激突しました。運転手は病院に運ばれましたが、軽傷ということです」

 そこで私のブツブツが始まるのです。

「おい、クマはどうなったんだよ。ひどい怪我をしているに決まっているじゃないか。車にぶっ飛ばされて、骨折しているに違いない。動けなくなって、どこかで死んでしまうんだよ。それをなんで言わないんだ」

「飛び出したのが、人間の子どもだったら、どうするんだ」

「被害者はクマだろう」

 運転していた人もびっくりしたと思うけれど、クマにとっても突然の悲劇です。アナウンサーも「クマにとっては突然のことで驚いたことでしょう」とか一言コメントすればいいのに。

 何事も人間中心に考えるのは、そろそろやめた方がいいと思っています。私はテレビ番組でコメンテーターを頼まれ、ニュースに関して意見を言うとき、いつも動物側に立ったコメントをするため、自らを「動物の弁護士」と自己紹介しています。

 動物は言葉が喋れないので、私が代わりに動物の気持ちを語る「代弁者」でありたいと思っています。

小菅正夫(こすげ・まさお)

獣医師。札幌市環境局参与(円山動物園担当)、旭川市旭山動物園元園長。北海道大学客員教授。国立動物園をつくる会代表。北海道札幌市出身。北海道大学獣医学部卒業後、1973年に旭山動物園入園。飼育係長、副園長などを経て、1995年に園長に就任。一時は閉園の危機にあった園を再建し、日本最北にして“日本一の入場者を誇る動物園”に育て上げた。2004年には「あざらし館」が日経MJ賞を受賞。2009年に同園を定年退職後、名誉園長となる。2015年には、札幌市円山動物園のアドバイザー(参与)に就任し、現在に至る。2017年公開ドキュメンタリー映画『生きとし生けるもの』では監修を務める。著作に『〈旭山動物園〉革命―夢を実現した復活プロジェクト』(角川新書)、『15歳の寺子屋 ペンギンの教え』(講談社)、『僕が旭山動物園で出会った動物たちの子育て』(静山社)、『動物が教えてくれた人生で大切なこと。』(河出書房新社)など多数。

聴診器からきこえる 動物と老いとケアのはなし

定価 1,870円(税込)
中央法規出版
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2025.05.24(土)
文=小菅正夫
イラスト=赤池佳江子