「実は私もがんだったの」
「えっ……?」
嵩は驚いた。目の前の里中はとても元気そうで、以前と少しも変わらない美しさだった。
子宮がんだったという里中は、自分の闘病について詳細に教えてくれた。子宮を温存したくて、いいといわれることは漢方や食事療法などすべて試し、丸山ワクチンを打ち続けたところ、お医者様から「もう大丈夫でしょう」と言われたそうだ。
「できる限りのことをやってみたらいかがですか。どうか元気を出してください」
別れ際に里中はそう言って、そのあとすぐに自分が試したものをリストにして送ってくれた。
暢のためにまだやれることがある―そう思うと、嵩は気力がわいてきた。

おだやかな日々

丸山ワクチンは厚生労働省(当時は厚生省)から薬として認められておらず、有償治験薬として、医師の許可をもらって打つことになっている。嵩は日本医科大学付属病院へ行ってワクチンを入手し、主治医に頼んで注射してもらうことにした。主治医は気休め程度にしかならないと言ったが、嵩は少しでも可能性があるならやってみると決めていた。
1か月ほどすると、暢は歩けるようになった。嵩は愛犬のチャコを病院の前まで連れて行き、病室から下りてきた暢に会わせた。暢は大よろこびで背中をなで、チャコはちぎれるほどに尻尾を振った。
12月の末に暢は退院した。東京女子医大病院から自宅のあるマンションまでは徒歩30分で、暢は車に乗らず歩いた。
「病院が近くてよかったわ。私は運がいい」
並んで歩く暢の肩は紙のようにうすくなっていたが、帰宅すると暢は正月の支度をし、元日は薄化粧をして嵩と屠蘇(とそ)を飲んだ。
宣告された余命はあと2か月。嵩は時間が過ぎるのがおそろしく、暢に寄り添うようにして暮らした。命が終わってしまうなら、その前に暢がよろこぶことをしたいが、いったい何をすればいいのか―。

2025.05.20(火)
文=梯 久美子