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48歳で独立、実は波乱万丈! 井原裕子さんのこれまでのこと

――小さい頃から料理好きだったんですか。

井原 母がお菓子作りの大好きな人で、伯母たちもすごく料理上手で。小さい頃からおいしいものに囲まれて、自然と料理好きに育ちました。愛知県出身なんですが、かたい八丁味噌をすり鉢でだしと合わせておくのは私の係。梅干しやらっきょう作りなども伯母に教えてもらって。昔ながらの日本の家庭料理を経験できたのは、幸せだったと思います。

――海外でもこれまで、計8年ほど過ごされたそうですね。

井原 夫の赴任に伴ってアメリカのヒューストンと、イギリスのロンドンで暮らしました。それぞれを拠点にあちこち旅もして、ヨーロッパはほぼ全域旅したでしょうか。現地の食材と調味料でいろいろ料理できたのは楽しかった。地元の方のホームパーティに呼ばれてみんなで料理したり、ヒューストンってメキシコや南米の方も多いから、そういう料理にも触れられたり。

――各地で料理教室にもよく行かれたとか。

井原 はい、そのときとったノートは今も大事にしています。イギリスで通ったイタリア料理教室はね、主宰の方がカルチャークラブってバンドのドラマーの奥さんで、料理上手でかわいいイタリア人でした。ロンドンの家のお隣さんはインドの方。いい匂いが漂ってくるものだから、何度か料理を教えてもらいましたよ。

――帰国されて、36歳から料理研究家の大庭英子さんのアシスタントになられますが、これはどういうきっかけで?

井原 本当に偶然、私が料理好きだと知ってる知人が「大庭さんが探しているんだけど、どう?」と声をかけてくれたんですよ。子どもも大きくなっていたタイミングだったので、「やりたい!」と。でも独立する気持ちは当時、全然なかったんです。

――どのくらいの頻度で行かれてたんですか。

井原 当時から先生は大人気で、お仕事の依頼が毎月たくさんありました。だから平日はずっとアシスタント仕事。勉強になりましたね。12年ほどさせていただきましたが、季節ごとの料理を毎年間近で拝見できたし、食材の選び方から教えていただけて。この期間は人生の宝物です。

――2006年には、離婚も経験されます。

井原 はい。いろんな理由があったけれど、お互いの思う「家族の形」が違いました。私はお互いに働いて一緒に子育てして家族を作っていきたかったけれど、向こうはそうではなかった。平等な感じがしなかったんです。

――夫婦間が対等な関係ではなかった……?

井原 子どもができてから、そういう感じがずっとあって。生きづらさを感じていました。子どもがある程度大きくなったとき、仕事をしようと思ったら否定的な答えが返ってきたの。元夫は、私の人生なんてまるで考えていなくて、「自分の人生=私の人生」だと思っていた。

――「俺に付いてくればいいんだ」的な。

井原 人の後ろを歩くってつらいですよ。先が見えないし、自分で何も決められない。レールが1本しかないことに耐えられず、2年かけて離婚しました。

――その後に料理研究家として独立されます。12年間アシスタントとして修業されて、先生から「井原さん、もうそろそろいいんじゃない?」と背中を押されたと。

井原 そうなんです、48歳から第2の人生。一般的には仕事において地位を確立する年齢で独立しました。しばらくは当然仕事もありませんから、貯蓄を切り崩す日々。同業で活躍されている人の多くは年下の方ですので、正直引け目を感じたり、先行きに不安を感じたりも勿論ありましたよ。でもメンタルはまあまあ強いほうなんで(笑)、大変な時期も乗り切れましたね。

――どうやって仕事を増やしていったのですか。まだSNSもない時代、自己アピールも大変だったのでは。

井原 そうですねえ……売り込みもしましたし、一度お仕事くださった方がリピートしてくださって、少しずつ広がっていった感じです。「DELISH KITCHEN」というウェブのお仕事をしたことで、ユーザーの方々のレシピ記事に対する具体的な不満と要望をダイレクトに知れたのは大きかった。そういったニーズを考えながら、自分のレシピを作っていきました。独立して5~6年後にはどうやら仕事も増えてきて、別れた夫の年収を超えたときは本当にうれしくて(笑)。ちょっと自信持っていいかなと思えたときですね。

――井原さんは料理研究家としての自分の「武器」って、何だと思われていますか。

井原 「引き出し」はそれなりに多い方だと思うんです。両親がおいしいもの好きで、小さい頃から様々なものを食べさせてもらえました。海外では世界の料理に触れつつ、和の食材が手に入りにくい状態で日本の家庭料理も作って。大庭先生からは調理だけでなく仕事への向き合い方や人生哲学も学ばせていただいたし、「DELISH KITCHEN」では計4万点以上のレシピ指導をして、スタッフに「なぜこのレシピはこうしなくてはならないのか」を説明する、その言語化の経験は今とても役立っています。

 母として子どもに料理を作りましたし、91歳になる父が食べやすい料理も作っています。人生のいろんな場面で料理してきたことが「引き出し」に入っていて、あえて言うなら、それらすべてが「武器」となってくれていますでしょうかね。

「しょうが焼きは、鶏むね肉がいい!」料理研究家・井原裕子さん考案のヘルシーレシピ<ひと手間で味が格段においしくなる工夫も>

井原裕子(いはら・ゆうこ)

料理研究家、食生活アドバイザー。愛知県生まれ。大庭英子氏のもとで12年間のアシスタントをつとめた後に独立。日本の家庭料理を軸に幅広くレシピを考案、著書多数。企業向けの商品開発やフードコンサルティングも行う。
Instagram @iharayukoo


聞き手・構成 白央篤司(はくおう・あつし)

フードライター、コラムニスト。東京都生まれ。「暮らしと食」をテーマに執筆、主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『自炊力』(光文社新書)、『はじめての胃もたれ』(太田出版)など。
https://note.com/hakuo416/n/n77eec2eecddd/

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次の話を読む「しょうが焼きは、鶏むね肉がいい!」料理研究家・井原裕子さん考案のヘルシーレシピ<ひと手間で味が格段においしくなる工夫も>

2025.05.16(金)
文=白央篤司
撮影=平松市聖(人物)、豊田朋子(料理)