常に「苦しい」を更新している

――今の10代、20代の感性とそれ以上の世代では、「ここが違う」というのはありますか?
志村 自分が20代の時は、同世代や10代の人の自分にない発想に衝撃を受けていて、50代に入った今に至るまでそれを繰り返している感じです。たとえイラスト1枚でも、1ページのマンガだったとしても、20代の頃は情緒がかき乱されるような衝撃を受けていましたが、いまは客観的に「うわ、すごいな~」と、素直に受け入れられるように。あ、でも年齢に関係なく瑞々しいものを描かれている方はいらっしゃるので、年齢のせいにしちゃいけないですね。
――それは、向上心ですよね?
志村 向上心なんですかね。若い頃だったら、すごい作品を見て「私も負けていられない! なにくそ」みたいな感じだったんですけど、今は素直に「すごいな~」って。枯れてきたのかもしれないです。
――先ほど瑞々しいという言葉が出ましたが、私が志村さんの作品に対して感じているのも瑞々しさなんです。それは、お話も線もということなんですけど。
志村 ここ最近は作画をデジタルに切り替えたのですが、それに関する迷走もあります。まだ使いこなせていないので、昔の自分の絵を見返した時に「こうやって劣化していくのか」とか。でもなんか分かるんですよね。自分も一読者の立場に立った時、「この人のこの時の絵が好き」っていうのがありますから、自分のマンガを読んでくださっている方の中にも、「この時の志村貴子が好き」っていうのがあると思うんです。寂しくもありますけど、その感覚は自分にもあるので、そこは改善していかないとっと模索している感じです。
――確かに私にも、「この先生のこの頃の線が好き」というのはあります。その一方で、意図しないとそこまで線を変えられないだろうに、積み上げてきたものを全て捨てるようなスタイルで新機軸を出してくる先生方もいて、その心意気に掴まれることもあります。
志村 それもありますね。すごい進化を遂げてるなと感じる先生もいらっしゃって、それは見習いたいです。いまマンガ人生の中で一番低空飛行というか、トンネルの出口が見えない時期なので……。
――そうなんですか? 『おとなになっても』の最後の方は苦しい状態だったりしたのでしょうか?
志村 毎月それなりに苦しんでいたとは思うんですけど、喉元を過ぎると忘れてしまって、常に「苦しい」を更新している感じです。今、何もしていない状態だったらもうちょっと振り返れたかもしれないですけど、今は最新の「苦しい」の中に居るので。
――創作の道の厳しさ……。というか、ご自身に厳しいですよね。
志村 いや、全然厳しくないんです。読者の方など見守ってくださる存在が大きいですね。「今は投げ出せない!」って。もしも、友達数人に見せるような描き方だったら、とっくに投げ出していたと思います。
2025.05.04(日)
文=山脇麻生
写真=末永裕樹