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山口は彼のところにいたほうが良いのだと、私は思った
しばらくして日本に一時帰国した山口を捕まえて、地元の焼き鳥屋に行った。「どこまで話したっけ?」という山口に、私は「なにも聞いてない」とふてくされながら説明を求める。山口は長く付き合っていた彼氏と別れ、例のナンパで知り合ったアメリカ人と付き合い始めたらしい。休暇で日本に遊びに来ていたその男に「一緒にカリフォルニアに来てほしい」と言われて、言われるがまま飛行機に乗ってついていったのだという。べつに長く滞在するつもりはなかったようだが、彼は山口が思っていたよりも誠実で、熱烈で、そしてとんでもなく実家が太かった。山口が妹の結婚式のためにこうして一時帰国するときも、彼は「絶対に帰ってきて」と、カルティエのプロミスリングを渡してきたのだという。
「彼が、隣の部屋で電話してるのが聞こえて、なに話してるんだろうって聞いてたら“ママ、こんなに人を愛したのははじめてだよ!”って言ってて、ウケた」
山口が焼き鳥を食べながらなんでもないように言う。話を聞いている限り、その男は悪い奴ではなさそうだった。彼の両親も彼女に良くしてくれていて、山口はカリフォルニアの豪邸で毎日優雅に暮らしているらしい。なんか、前よりも顔色がよく、綺麗になったような気がする。彼は彼女の家庭環境など、これまで彼女を苦しめていたものについての全てに耳を傾け、そして「もう大丈夫。だって君は僕に愛されているから」と言ったらしい。最初は遊び程度の気持ちで付き合っていた山口も、今になって少しずつ彼を愛し始めているところだった。釜めしを食べながら「じゃあ、プロポーズされたら結婚するの?」と聞くと、山口は躊躇わずに「する」と答えた。私は母の唯一の友人だったカズという女性のことを思い出した。私が子どもの頃、ときどき私と遊んでくれていたカズ。彼女もアメリカに嫁いで、しばらくの文通のあと便りが絶えてしまった。今はどこでどうしているのか、母もわからないのだという。
「アメリカってすっごく生きやすい。デカい私が歩いてたって、誰も見てないんだもん」
山口も、もしアメリカに嫁いだらカズのようになってしまうのではないかと思った。しかしそれでも、はにかみながら、決して浮足立っているようすもなく、これから起こりうる幸福の話をする山口の顔を見ていると、たぶん、山口は彼のところにいたほうが良いのだと、私は思った。山口はその2日後、また大きな荷物を引いてアメリカに戻っていった。飛行機から見える真っ青な空の写真が、山口からLINEで1枚、送られてきた。
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伊藤亜和(いとう・あわ)
文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

Column
伊藤亜和「魔女になりたい」
今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。
2025.05.06(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香