ダルビッシュ ところが息子がアメリカに行くのはイヤだと言う。それはそうですよね、親の都合でいきなりカナダに連れてこられた。そこにはいとこのお兄ちゃんと1つ下の女の子がいて仲良くしてくれたけど、今度は誰も知り合いがいないアメリカに移るというんですから、子どもながらにも不安だったでしょう。息子は頑固なので言い出したら聞きません。すると姉が「大丈夫だよ、ここにいて」と言ってくれました。

 そこで息子を姉に預けて単身アメリカに飛んでコーチの仕事を決めて、さらに私自身がグラップリングという格闘技のアジア予選に初めて出たら優勝して日本代表になっちゃって。世界大会で銅メダルを獲って、カナダに戻ってもう一度息子に「どうする?」と尋ねたら「アメリカに行く」と言ってくれた。こうしてようやく親子でコロラドスプリングスで暮らし始めたという、怒濤の1年でした。

出会って間もない頃、夫に聞かれたこと

内田 すべて1年目の話でしたか! 波瀾万丈ですね。そうやってご自身で決めた道であっても困難にぶつかることもありますよね。

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ダルビッシュ 主人にも出会って間もない頃に聞かれました。「苦労したことある?」って。私は挫折はいっぱい経験しているはずなんです。19歳でスウェーデンで開催された世界選手権で初優勝して、母が闘病中だったので速攻で帰国し、メダルを渡して喜んでもらおうとしたのに病院に着いたときには亡くなっていた。胸の上で手を組まされていたので、メダルを握らせてあげることができなかった。

 この4年後の03年世界選手権は、代表選考会の数日前に急きょ、協会の指示で階級を上げて出場することになったのですが、優勝は果たすことができたんです。翌年にようやく女子レスリングがオリンピック種目に加わり、階級を戻して挑戦したものの代表選考会の決勝で吉田沙保里ちゃんに敗れ、出場は叶わなかった。

 引退して結婚したけれど結婚生活は破綻。逃げるようにアメリカに来た。それなのに私は「苦労?したことないなー」と答えていた(笑)。主人は私とは正反対で、物事を慎重に考える人なんです。だから私のノーテンキな答えが主人的にはキーになったようでした。

2025.04.18(金)
対談構成=小峰敦子