画家バルテュスについては、ピカソの発言だとされる「20世紀最後の巨匠」という惹句を筆頭に、ポーランド貴族の系譜、母の恋人であった詩人・リルケからの賞賛、スイス山中の広大な城館グランシャレでのマスコミをシャットアウトした神秘的な生活、親子ほども年の離れた日本人の妻・節子夫人の存在など、ともするとそのキャラクターにばかり脚光があたり、作品そのもの(絵の話になると今度は「少女」というモチーフばかりが取り上げられるのだが)が美術史の中へどのように位置づけられるのか、今ひとつ理解されにくかった。日本国内では20年ぶりとなる今回の大回顧展で、個人的にはようやく彼の絵と出会えたような気がする。
20世紀絵画を代表する改革者として、三次元の対象を絵画空間の中で二次元に解体したキュビスムから新古典主義まで、次々と新たな様式へ作品を変転させながら、6000点以上の絵画作品によって時代を牽引したのがピカソという画家だった。一方、ピカソより30年ほど後の1908年に生まれて2001年に亡くなった、まさに20世紀とぴたりと重なる人生を生きたバルテュスは、キュビスムやシュルレアリスム、抽象表現主義など、レアリスム(写実主義)の呪縛から解き放たれた後に花開いた、20世紀絵画の多彩なムーヴメントのいずれからも距離を置き、たった独りの道を追求した。いわば20世紀絵画マップにおける離れ小島。だからバルテュスは「わかりにくい」のだ。
バルテュスの絵を理解するための最初の手がかりを、幼少期に見出す研究者は少なくない。美術史家の父、画家の母、のちに小説家・素描家となる兄、という一家に生まれたバルテュス(本名はバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)は、11歳の頃から愛猫をモチーフに素描を描くことを始める一方、母を通じて中国や日本の文化に強い関心を抱き、14歳の時には母の恋人だったリルケと、ドイツ語訳された岡倉天心の『茶の本』を読んでいる。無垢な子供時代の眼差しと、非西洋の「プリミティブ」な芸術への憧れは(いずれも近代思想の所産だが)、生涯を通じてバルテュスの作品の基調を成すことになる。
2014.05.24(土)
文=橋本麻里