既に新聞やTVの報道などで、作品の存在をお知りになっている方は多いであろうし、NHKの「歴史秘話ヒストリア」や「日曜美術館」などの番組では、さらに丁寧な紹介をしていた。だが関心はあるのに見逃した! という人のために、このコーナーでも取り上げてみたい。そう、66年ぶりに所在が明らかになった喜多川歌麿による肉筆浮世絵の大作、『深川の雪』である。
「世紀の発見」という見出しが躍ったように、本作は昭和23年(1948)、銀座松坂屋で開催された「第2回浮世絵名作展覧会」で3日間だけ出品されたのを最後に、長く行方がわからなくなっていた。残された古い白黒写真だけを手がかりに、研究者たちはどのような作品かと想像をふくらませて来たが、2012年2月、関係者の前に姿を現した『深川の雪』は、浅葱色のすやり霞や、渋い藍や黒、茶に赤を利かせた着物、床板の柔らかな黄など、鮮やかな色彩が見事に残っていた。傷んだ表具を取り替え、補修を施し、展示できる状態まで戻ったこの春、箱根に開館したばかり(2013年10月)の岡田美術館の所蔵品として、4月4日からついに一般公開が始まった。
『深川の雪』は、浮世絵の黄金期である18世紀後半~19世紀初めにかけて活躍、生涯に版画を約2000図、肉筆画は約40点を残した喜多川歌麿の貴重な肉筆浮世絵で、先行する『品川の月』(フリーア美術館蔵)、『吉原の花』(ワズワース・アーセニアム美術館蔵)とともに三部作の一部をなす大作として知られる。品川(宿場町として飯盛女による売春が黙認された)、吉原(幕府公許の遊里)、深川(私娼のほか、粋と張りを看板にした辰巳芸者で知られた)と地名を並べれば、江戸に詳しい人ならすぐピンと来るとおり、いずれも遊里として知られた場所だ。ここで営まれた料亭や妓楼を舞台に、それぞれの遊里らしさを、装いやしぐさ、風俗に託して、女性たちの群像を華やかに描いた。
驚くのは、198.8×341.1センチという特大のサイズ。「月」「花」も大作だが(月:147.0×319.0センチ、花:186.7×256.9センチ)、制作時期のもっとも遅いと目される「雪」が最大で、かつ同時代の肉筆浮世絵の中でも飛び抜けて大きい。いったいなぜ、このような作品が作られたのだろう。
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2014.04.26(土)
文=橋本麻里