ヨーロッパの「実学」が江戸絵画に引き起こした大きな変革

重要文化財 「不忍池図」 小田野直武 一面 1770年代 秋田県立近代美術館蔵

 芸術と科学・技術を対立的なもの、相容れないものと捉えている人がいる――かどうかわからないが、文系(Arts)/理系(Science)を対立的に捉えた論調がそれなりに存在するところを見ると、あながち的外れな推論でもないのだろう。しかし政治や宗教が芸術を動かすエンジンだったのと同じように、科学や技術もまた、芸術に大きな影響を与えてきた。たとえば19世紀、チューブ入り絵の具の発明は、アトリエから離れた野外制作を可能にし、光と空気で包まれた風景や事物の印象を描く「印象派」の画家たちを生むきっかけとなった。また彼らが光/影の中にもさまざまな色が存在することを知り、「見たまま」の視覚では気づき得なかった色彩表現の可能性を拓いたのは、同時期に発明された「プリズム」によるものでもある。

 同様の出来事は江戸時代の日本でも起こっていた。そのきっかけとなったのが、8代将軍・徳川吉宗の政治的な決断だ。行き詰まりを見せ始めていた幕府を立て直すため、享保の改革を進めていた吉宗は、ヨーロッパの「実学」にも大きな関心を持ち、享保5(1720)年、キリスト教関連をのぞく漢訳洋書の輸入規制を大幅に緩和する。この政策によって、既に中国経由で一部導入されていた遠近法や俯瞰図の技法が、より正確な情報に置き換えられ、顕微鏡や望遠鏡など、「視覚」についてそれまでの常識を一変するような光学装置や、自然科学に関わるさまざまな書物、博物画などがもたらされた。それが江戸絵画に大きな変革を引き起こしていくのである。

左:「名所江戸百景 する賀てふ」 歌川広重 大判錦絵 安政3年(1856) 個人蔵
右:「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」 歌川広重 大判錦絵 安政4年(1857) 個人蔵

 ルネサンス期に確立された遠近法は江戸時代の絵師たちに衝撃を与えたが、最後まで体系的な理解には至らなかった。とはいえ、その技法のひとつである「透視図法」(線遠近法)を極端な形で版画に採り入れ、「浮絵」と名付けたのは江戸時代初期の浮世絵師、奥村政信だったらしい。この手法は江戸時代後期に広まり、葛飾北斎、歌川広重らも作品を残したほか、肉筆画では円山応挙らが、凸レンズのついた覗き眼鏡を通して見ると、あたかも遠くの風景を眺めているような視覚効果を持つ「眼鏡絵」を制作。この流れを受け、色彩遠近法や空気遠近法も採り入れた洋風画を、秋田藩士・小田野直武が確立、「秋田蘭画」として発展を遂げた。また顕微鏡で見ることができるようになった雪の結晶など、ミクロの世界へ向かう関心もあれば、博物学やその図譜に刺激を受け、対象を自然科学の視点から捉えようと制作された写生図もと、新しい「視覚」を得たことで、江戸の絵画世界は大きく広がっていくのである。

のぞいてびっくり江戸絵画
─科学の眼、視覚のふしぎ─

遠近法由来の浮世絵、眼鏡絵、秋田蘭画や、望遠鏡や遠近法を経て精度を増した鳥瞰図、産業振興のための自然科学的な調査から生まれた美麗な博物図譜など、江戸時代のイメージを変える作品を多数紹介する。

会場 サントリー美術館
会期 2014年3月29日(土)~5月11日(日)
料金 一般 1,300円ほか 
電話番号 03-3479-8600 
URL http://suntory.jp/SMA/

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2014.04.12(土)
文=橋本麻里