浅野 そうなのかも。しかし、旦那に関して言えば、自分の息子の才能を信じて、実際に売り出すって、大したことだよね。
近田 しっかり結果が伴ってるんだから、単なる親バカじゃない。具眼の士だよ。

浅野 あの頃は、ちょうど永瀬正敏さんみたいな俳優が人気を博した時代だったから、うちの息子のようなタイプも、上手く波に乗ることができたんじゃないかな。
近田 確かに。それまでの邦画界では珍しかったタイプだもんね。
順子さんが息子たちに施した「英才教育」
浅野 高校に入った忠信は、バンドの方に興味が向いて、俳優については消極的な時期もあったのよ。遊びたい盛りだし、いろいろ悩みもあったみたいだけど。
近田 ジャンルとしては、パンクをやってたんでしょ?
浅野 うん。パンクの世界では、革のパンツのお尻にチェックの布を当てるのが流行ったじゃない? 私、縫い付けてあげたわよ。
近田 ああ、ロンドンのセディショナリーズあたりのセンスだよね。
浅野 あとは、原宿の「アストアロボット」に行って、ドクターマーチンの重たい靴買ってあげたりもした。
近田 ファッションセンス、母子でちゃんと共有できてるんだね。
浅野 私が着てた洋服もいろいろあげたもん。ピンクの迷彩柄のとかさ。あの子、物持ちいいから、いまだに持ってるんじゃないかしら。
近田 いろんな英才教育を施してたのね。

浅野 あと、忠信は小泉今日子さんの大ファンだったのよ。彼女のライブに行くっていうから、忠信のサテンか何かの法被の背中に、キョンキョンの名前を刺繍してあげたことがある。喜んで着てったことを覚えてる(笑)。
近田 いい話だねえ。じゃあ、その後、キョンちゃんと仕事で一緒になった時は、さぞかし感慨深かったことだろうね。
浅野 ええ。2001年に相米慎二監督の映画『風花』で共演した時は、ずいぶん喜んでる様子だった。撮影の様子をいろいろ話してくれたし。
2025.03.16(日)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖